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第2巻「帚木」その23
空蝉との出会い
光源氏はゆっくりとお休みになれない。寂しいひとり寝とお思いになると目が覚めて、この部屋の北側の襖障子の向こう側に人の気配のするのを、これこそ紀伊守が話をしていた女の隠れている所だろうと、いとおしくお心をお止めになって、さっと起きあがって立ち聞きなさると、先ほどの童の声で、
「お伺いいたしますが、どちらにいらっしゃいますか。」と、かすれ声でかわいらしくいうと、
「ここに臥してます。お客さまはお休みになりましたか。どんなに近いのか心配しておりましたが、どうも遠いようですね。」という。眠たそうなしまりのない声がさきの童に似ているので、その姉とお思いになる。
「(光源氏さまは)廂(ひさし)の間にお休みになられました。うわさに聞いておりますお姿を拝見いたしました。本当にご立派でございました。」と小声でいう。
「昼でありましたなら、のぞいてみたいですね。」とねぶたげにいって、夜具に顔を入れる声がする。にくらしいな、もっと心を込めて訪ねればよいのにと、残念にお思いになる。
「私は端に寝ましょう、ああ暗いな。」といって、灯りを明るくなどする。話の女君は、この襖障子の近くの筋違いなるほどに寝ているようだ。
「中将の君はどこにいるのか。遠くにいるように思われて恐ろしい。」というようで、長押(なげし)の下に女房たちが寝ていて答えて答えているようである。
「下屋に湯をつかいにおりて、すぐに参りましょう。」という。
みな寝静まっているようすなので、襖の掛け金を試みに引き開けてみると、向こう側からは鍵が掛かっていなかった。几帳を襖障子口に立てて、灯りはほの暗いなかでご覧になると、唐櫃(からびつ)のようなものどもを置いてあったので、乱れているようなところを分け入りになられて、女の気配のするところにお入りになると、ただひとりで寝ていた。
女は煩わしく感じたけれど、上の衣をおしやられるまで、探していた女房と思っていた。
「(光源氏)中将をお呼びになりましたので。人知れぬ好意の結果とおもいまして。」とおっしゃるのを、女は何がおきたのかもわからず、物に襲われる心地がして、
「あ!」とおびえるが、顔に衣がさわって声を立てられない。
「急にこのようなことをいたして、心深からぬこととお思いになるのも無理のないこととお思いますが、この何年かあなたのことをお慕いいたしておりました心の内を申し上げようと思いまして。このような機会をお待ちいたしておりました。私の心の内の決して浅くないことを思いくださいませ。」と、たいそうやさしく申しあげて、鬼神とて荒々しくできない雰囲気であるので、大きな声で「ここに人が!」ということができない。気分はわびしくこのようなことがあってはならないと思い、
「人違いでございましょう。」というが、声にならない。
ひさし【廂・庇】(日差しの意)
○寝殿造で、母屋もやの四周にめぐらした下屋げやの部分。そこにある室を廂の間まとも呼ぶ。その外に簀子すのこ縁がある。源氏物語桐壺「おはします殿の東の―」
○本屋から外側に差し出した片流れの小屋根。窓・縁側・出入口などの上に設けて日や雨を防ぐもの。源氏物語宿木「―の御車にて」 (広辞苑)
から‐びつ【唐櫃・韓櫃・辛櫃】
(古くはカラヒツ。カラウヅ・カラウドとも) 脚のつかない和櫃やまとびつに対し、4本または6本の脚のついた櫃。白木造りのほか、漆塗り、さらに螺鈿らでん・蒔絵まきえなどで飾ったものがある。衣服・甲冑・文書などの収納具、また中世までは運搬具としても盛んに使われた。源氏物語夕霧「櫛・手箱・―」
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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