「夏が終わり、もう秋ですね。」と言っても、この原稿を書いている現在は実はまだ結構暑い8月の京都です。去年の今頃(8月末から9月中旬にかけて)3週間ほど残暑の中、浄土宗僧侶養成講座(僧侶となるための最後の修行)のため知恩院にいました。
不思議なことに辛いと思うことは、時間が経つと案外忘れてしまうのですよね。修行の場合も同じで、その時は指導の先生たちも厳しく大変であったが、時間がたつと不思議に覚えたことや鍛えられたことは自然と身に付いていました。共同生活で、毎日朝暗いうちに起きて、朝の勤行、朝食、講義、半斎供養(お昼のおつとめ)、昼食、講義、夕方のおつとめ、夕食、法式、消灯、今はもはや素晴らしい経験、そしていい思い出と感謝しています。
勿論、私はまだまだ修行や勉強不足で、もっと努力しなければと反省する毎日ですが、やはり仕事に追われている毎日でもあります(ここでちょっと秋の展覧会の宣伝をさせていただきます:京都国立博物館で10月16日から11月18日まで「狩野永徳展」を開催します。是非見に来てください。その図録と博物館たよりの英訳で現在時間が取られています)。とりあえず、頑張るしかないという現状です。仕事は修行とは違いますが、やはり、これもまたするほど色々と知識や経験が自分のものになり、辛いときもありますが、やりがいがあって楽しいです。
人生は見方によって全く変われると思います。英語ではよく「Is the glass half
empty or half full?」(コップは半分空っぽなのか、半分入っているか?)という表現がありますが、人生も辛い思いをして損したと被害者意識を持つ人と、辛いことを乗り越え、その経験から学んで強くなる人がいると思います。
人生はそんなに単純ではないと言う人もいるかも知れませんが、我々自身が物事を不必要に複雑にしてしまうことが多いと思います。これは映画を見たり、小説を読んだり、他の人の行動を観察し、冷静で客観的に第三者の立場で物事を見る時よく分かると思いますが、案外自分の幸せや不幸を自分自身が作っていると気づきます。
お釈迦様は「中道」と言うことを我々に教えてくださいました。この教えは人生のすべてに適用できます。食べることに関しても、食べ過ぎたり、変にダイエットしたりするのではなく、普通にバランス良く食べれば体も健康になります。買い物でも、買いすぎたりするのではなく、いるものだけ買う。人生にバランスを持つことです。
でもそれ以上に中道は奥深い宗教的、哲学的、倫理的なありかたを教えていると思います。それは簡単に言えば、客観的に智慧を使って物事を判断することでです。これは簡単そうで、非常に難しいことだと思います。うまくいけば、誰でもいい顔で冷静にいられるが、やはり人間だからどうしても感情的になってしまいます。毎日の生活の中でには嫌なこと、辛いこと、苦しいことは一杯あります。逃げ道がないと絶望的な気持ちになることを、誰でも一度は感じていると思いますが、そのような時にこそ自分の中のバランス、「中道」が大切ではないでしょうか?
大学院時代に色々と自分は「こんなに頑張っているのに、思うように行かない」とよく不満を感じたりしていましたが、その時トッドという人と友達になり、自分の人生が変わりました。トッドは身体障害者で歩けません、車椅子で移動しています。飛行機の座席に一日中座っていることでさえ大変なのに、車椅子の生活って想像できない苦しみだと思うが、彼は一切文句も言わずにいつも明るく過ごしています。私はこんなに恵まれているのに不満ばかり感じていた(人生のグラスを半分空っぽと見てきた)と反省しました。明るく生きて行くと周りも明るくなっていくのだなと彼から習いました。
原 真 理
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