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次回配信日は、10月1日です。



願成寺の主?


対峙

 「新参(晋山)住職、10年もの言わず 」という、まことしやかな言葉がある。新しく住職となったものは、代々受け継がれてきた法灯を守ることに徹せよ、ゆめゆめ自己主張することのないように、最低10年間はおとなしくしていろと言うことであろう。妙に言い当てているようにも思えるから不思議である。

 振り返ってみるに、先代住職が倒れ法灯を継承するに、最初の2〜3年は自己主張どころではなく、無我夢中といったところが正直である。寺に生まれ寺に育ったとはいえ、いざ住職としての仕事を考えると、先輩僧侶に教えを請い、寺の役員に学ぶ毎日であった。住職を拝命してから22年58歳になるが、寺の役員会(20数名)といえども、私より若い人は一人だけである。やはり長いこと寺を守ってきてくれたお檀家さんに耳を傾けていくことが肝要である。

 ところが最近、お檀家さんに「ため口」をきくようになった。初心を忘れてきたようにも思えるし、それだけお檀家さんと親しくなったともいえよう。
 また、住職になって、みんなが「住職さん」「和尚さん」「方丈さん」と声をかけてくれ、精進落としの席や宴席など、つぎつぎとお酌をしてくれる。一瞬殿さまになったような気分で、何か自分がとても偉くなったように思えるのである。決して私の人格があがったのではなく、私どもが守っている仏さまに手を合わせていることを忘れてはならない。

 こんな私を戒めるかのように、願成寺の主(ぬし)が現れた。体長20pほどのガマガエル?である。住職になって3度目の出現である。夕方庭に出ると、ぐっと私を睨んでいて、まったく動かない。対峙したままであったが、一礼をして私の方からその場を去った。
 ちょうど、法然上人800年遠忌に向けてお檀家のみなさんにご寄付をお願いしているときだけに、おごることなく精進していくことを確認した次第である。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その25

 空蝉との出会い

 女は、まことに嘆かわしくて、源氏の君のお心をいいようもないことと思って泣くようすは、たいそう悲しい無体なことで心苦しくは思われたが、結ばれなくば口惜しであろうと思う。慰めようのないほどつらく思っているので、
「どうして私をこのように疎ましきものにお思いになるのでしょう。思いがけないことこそ、前世からの契りとお思いになって下さい。むげに恋を知らないようにお思いになられることが、たいそうつらく思われます。」
と、恨みなさると、
「このように受領階級の後添えという情けない身になるまえに、娘のままの身でありました時に、このようなお心をおかけ下さいますならば、かなわぬ私の望みと思いながらも、いつかはあると思われます逢瀬と思しまして慰めましょうが、こうした仮の逢瀬と思いますと、たいそう思案にくれます。今はお逢いいたしましたことは秘密にして下さい。」
と、思っている様子は無理もないことである。源氏の君は、心からお約束なさり慰めなさることが多いのである。

 朝の鳥が鳴いた。人々が起きて出てきて、
「たいそう、すっかり休んでしまった夜であるな」「車の用意を」など、言っている。紀伊守も出てきて女たちが、
「御方違えは、こんな夜深いときから急いでお帰りになるのでしょうか。」
などいう。
 源氏の君は、このようなついでの出会いということもまたあることでなく、改めて出かけてくることも難しく、手紙など通わすことも無理であると思うと胸が痛くなるのであった。

 奥の中将も出てきてたいそう困惑しているので、女をお放しになるもののまた引き寄せになられて、
「どのようにしてお手紙を差し上げたらよいのでしょう。今までに経験したことのないあなたのお心のつれなさも、私の悲しさも、深い縁の思い出は珍しい例しですな。」
と、お泣きになるお姿は、たいそうしっとりと上品である。鳥もしきりに鳴くので心あわただしく、

  つれなきを 恨みもはてぬ しののめに
                  とりあへぬまで おどろかすらむ
(あなたのつれなさを、いくら怨んでも果てぬことがないが、空が明るくなってあわただしく鳥が鳴くことでしょう。)

 女は、自分の身のことを思うと、恥ずかしい気持ちがして、源氏の君の特別なお気持ちをお受けするゆとりもなく、いつもは愛想もなく気に入らぬとばかにしている夫伊予介のことが思われて、このことが夫の夢に見えてしまうのではないかと空恐ろしく気にかかっていた。

  身のうさを 嘆くにあかで 明くる夜は
                 とりかさねてぞ ねもなかれける
(我が身のつたなさを嘆くに、明けてくる夜を嘆き、鳥と同じように泣きました。)

すっかり明るくなったので、障子口までお送りになる。内も外も人騒がしいので、襖を引き立ててお別れになるさまは心細く、「隔てる関」と思われた。御直衣などをお召しになって南の高欄にてしばらく眺められる。西の格子をわざと上げて人々ががのぞく。簀の子の中ほどに立ててある小障子の上からほのかに見えるご様子を、身にしみるほどの思いの女房がいるようだ。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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