願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、10月15日です。



マウイのハレアカラ旧火山


兄弟とお寺の裏で

 もう秋ですね。この一年は本当にあっと言う間に終わりそうで、年月の速さに圧倒されています。京都では9月なると、萩がお寺や神社で見事に咲き、お茶会などが催されますが、私は仕事に追われる毎日でした。今月から始まる京都国立博物館の狩野永徳展と東京国立博物館の大徳川展の図録の英訳でバタバタしていました。殆ど外に出ることなく、萩の季節を楽しまず、気づいたら1ヶ月が終わっていました。

 今回は、お釈迦様が誕生した時に初めて口にしたお言葉「唯我独尊(ゆいがどくそん)」を紹介し、このお言葉がどのような意味を持つかと考えてみたいと思います。皆様がご存知のように歴史上のお釈迦様は北インド(現在、ネパール)で生まれました。伝説によると、生まれて七歩歩き、右手を天に指し、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」と言われました。英語では「I alone am the world honored one」とよく訳されていて、この意味には様々な解釈があります。ある解釈では「この迷いの世に生まれてくるのが最後で、これから解脱する尊い人を指す」、また「衆生全てを救う存在の意味を持っている」とされています。なかには「自己主張で、ナルシスト」と批判されていますが、このお言葉が、自分にとってどのような意味を持つかと考えたいと思います。

 私にとって「唯我独尊」は、一行もの(お茶の掛け軸)でよく使われている「主人公」のようです。自分が物事の中心で、自分を大事にすることだと思います。これは「自分以外の人がどうでもいいや」という自己満足では消してありません。自分を大切にすることで、また人をも大切にできるのです。自分に優しくできない人は、どんなに人のためにつくしているつもりでも、本当の優しさが分かっていないと思います。勿論、人のために尽くしたり、努力することはとても大切なことですが、やはり自分の行動は自分から始まります。自分が本当に幸せではなければ、他の人を幸せにできるはずがないのです。

 自分が物事の中心とは、日本語ではとても自分勝手のように聞こえるかも知れませんが、やはり世の中は一人一人が自分の行動を考え、その行動に自分で責任をとることが必要だと思います。誰でもが幸福になりたい、でも一人では生きていけない、どうしても人にお世話になったり、人に頼ったりします。そして、たまに人間関係が難しくなったりします、或いはどうして私はもっと好かれないと思ったり、どうして誰々さんとはもっとうまくいかないのかと悩む方が多いのです。

 お釈迦様に教えていただいた通り生きることは大変なこと、苦しいことであります。良い日もありますが、悪い日もあります。だれでもよいときは良い顔ができますが、悪い時期をどのように乗り越えるかは、自分の心の中で解決していかなければならないことです。そして、そこで良い種を蒔くか、悪い種を蒔くかは自分自身のことです。仏教では種を蒔くことは因果の喩えとしてよく用います。原因と結果がつながっているという意味ですね。良い種は強い木になって良い実をつける、悪い種は悪い実をつける。自分が物事の中心とはこのような意味です。自分の行動が生活の中にどのような花を咲かせるのは自分から始まるのです。(勿論、自分がコントロールできないものは色々とありますが、どこかで皆繋がっているようですね)。

 お念仏を申すことは良い種を蒔くことです。忙しい毎日に追われると、すぐじりじりしたりしますが、お念仏を申すと心が安らぎ、世の中も安らぐ気がします。自分の行いが自分の人生を変えていく、素敵な種を蒔くと素晴らしいお花がきっと咲くと思います。
 9月の萩を楽しめなかった私は、まだまだ精進していかねばなりません。

 原 真 理


 20年ほど昔になろうか、まだ、住職になりたてのころである。あるお檀家さんのおばあさんからご寄進の申し出があり、お会いいたしお話をうかがうと、何と3000万円のご寄付の申し出であった。30万円のご寄付であるならば、この浄財で仏具を買わせていただこう、法衣を新調させていただこうと考えるのであるが、桁がふた桁も違うと、あまりにも金額の多さにただただ驚くばかりである。

 何度かの話し合いのなかで、みんなが気軽にお参りできる観音堂を建立することに決まった。早速、設計見積をお願いしたところ、5000万円であった。お施主さんに規模の縮小を申しあげたところ、「わかりました、5000万円用意いたしましょう」との即答がいただいた。また驚きである。拙僧にははかり知れない展開に狼狽えさへ感じたが、お施主さんの意向を完遂すべき準備にはった。長老や役員のみなさんに相談にのっていただき、1年をかけて完成に至った。

 落慶開眼法要をつとめたときの喜びは、私の生涯における最高の出来事となった。法要の折、挨拶で「若き住職を信用して5000万円もの大金を託して下さったお施主さんに感謝申しあげ、これからもお寺の護持に努めて参ります。」旨のお話をさせていただいた。

 それから何年たったころであろうか、お施主さんと話をしているときに、私はとんでもない勘違いをしていることに気づいた。
 お施主さんは5000万円を私に託したのではなく、阿弥陀さまそして歴代の住職に託していたのである。お施主さんは子供のころから家族に連れられお寺参りをして先々代住職に会い仏縁を結ばれ、父先代住職のころは、ご夫婦で来られよくお酒を飲まれていたのを覚えている。さらには息子の得度を知ると「最初に身につける法衣は、わたしに」と法衣ひと揃いをつくっていただき、わたしをふくめ願成寺4世代の仏縁があったのである。

 居ても立ってもいられず、お施主さんに申しあげると、「ご住職さん、気がつきましたね」とおっしゃる。赤面の極みである。先々代が仏縁を蒔き、先代が耕し、たまたま私の代に花が咲いたのだ。法灯の力を初めて自覚した一時(ひととき)であった。奢ることなく願成寺そして観音堂を護っていく再決心をさせていただいた。

 9月17日、お施主さん山本松江さんが、観音さまに見守られながら阿弥陀さまのもとに旅立たれた。これからも極楽浄土から願成寺をそして観音堂を見守って下さると確信していると、あまり寂しさを感じない。多少の時間はいただきたいが、ご浄土で再会が約束されているからであろう。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


観音堂


 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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