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第2巻「帚木」その26
空蝉との出会い
月は有明で光がよわいながらも月影はさやかに見えて、かえって風情のあるあけぼのである。何心もない空のようすも、見る人によって艶にも凄くにも見えるのであった。人には知られない御心はたいそう胸が痛く、その気持を伝える手立てのないことと振り返りながら、この屋敷をお出になられた。
屋敷にお帰りになられてからも、すぐにはお休みになられない。また再び会う方法のないことを、まして空蝉の心の内はどのようであろうかと、心苦しく思いやりになる。特に優れているところはないけれど、感じよく身をこなしている中の品(しな)であるなと、雨夜の品定めでいろいろな階級の女を知っている左馬頭のいっていたことは、まことであるなと思い合わせるのであった。
近ごろは左大臣の屋敷にばかり居られる。やはり空蝉と別れてからは愛おしく思うことばかりが御心にかり苦しくお思いになられて、紀伊守をお召しになった。
「先日の中納言の子をもらえませんか。可愛らしげに見えたので、近くに仕えさせる人といたしましょう。後には童殿上(わらわてんじょう)といたしましょう。」とおっしゃると、
「たいそう恐れおおい仰せごとでございます。姉なる人に申してみましょう。」と申すと、君は胸が熱く思うが、
「その姉君には、子がおるのか。」
「そうではございません。この2年ほど伊予介の後妻となっておりますが、親の宮仕えの希望を違えての結婚で、不満があるように聞いております。」
「気の毒なことだな。上品な人と聞き及んでいるが。ほんとうに美人であるか。」とおっしゃると、
「詳しくは存じ上げません。煩わしいのでもて離れて、世間でいう母親が違いますので仲良くいたしておりません。」と申す。
(しばらくすると、この子を連れてくるが、光源氏の意図とするところは?)
あり‐あけ【有明】
月がまだありながら、夜が明けてくる頃。また、その月。ありあけづくよ。和訓栞「ありあけ、有明の義、十六夜以下は夜は已に明くるに月はなほ入らである故に云ふなり」。源氏物語帚木「月は―にて光をさまれるものから」(広辞苑)
あけ‐ぼの【曙】
夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始める頃。(広辞苑)
わらわ‐てんじょう【童殿上】ワラハ‥ジヤウ
平安時代以降、宮中の作法を見習うため、名家の子供が殿上に仕えたこと。また、その子供。赤色の闕腋けつてきの袍ほうをつけるのを例とした。うえわらわ。てんじょうわらわ。源氏物語少女「せうとの―する」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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