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次回配信日は、11月1日です。



境内の稲荷神社

 「鳥居で首つり」が問題になっった。映画「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」でのシーンで、村の入り口にある鳥居にギャングに捕まえられた村長が首をつられている場面に対して、神主など神社関係者から「不適切な表現」「神聖な鳥居への冒涜(ぼうとく)」といった趣旨の抗議があったと報じられている(「鳥居で首つりやめて」映画に抗議 神社関係者「冒涜」朝日新聞2007年10月07日)。
 報道によると、朝日新聞の取材に全国約8万の神社でつくる神社本庁は「表現の自由も大事だが、関係者がどう受け取るかも考える必要があるのではないか」と話しているという。
 製作委は関係者に「不快感を与えたことは申し訳ない」と謝罪、広く一般の人が見る機会のある予告編、ポスター、チラシは作り直した。本編は「作品に興味を持った人が見るもので、作品全体を見れば、神社を冒涜するものではないと理解いただける」(同社広報)として改変せず公開したとある。

 「鳥居」の起源や語源には定説がないというが、神社参道の入り口にあり、世俗と聖域(神域)を分けるものであり、神社の象徴といえよう。神職関係者が不快感を持つのは当然であろう。たとえ映画であっても、寺の鐘楼に、十字架に首をつった場面を、それぞれの宗教関係者は快くは思わないのは当然であろう。
 しかし一方では、マカロニウエスタンのパロディであり、神社を冒涜する意図のもとに作成されているわけでもなく、表現の自由とのかね合いからも、目くじらを立てることではないのではという意見もある。

 こうした事件には枚挙に遑(いとま)がない。浄土真宗教団連合は、常に「他力本願」の軽率な使用に抗議をしている。2002年5月28日の朝日新聞の報道によると、オリンパス光学工業(本社・東京)の新聞広告で「他力本願から抜けだそう」という表現に、「他力本願」とは浄土真宗の宗祖・親鸞が示した言葉で、仏の願いに生かされ力強く生き抜くという意味だと指摘、「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と訴えて抗議文を送っている。オリンパス広報室は「浄土真宗で使う言葉の意味を知らず、一般で使う他人の力をあてにするという意味で用いた。配慮が足りなかった点をおわびしたい」と話しているとの報道がある。
 また、海外に目を向けると、イスラム教徒の聖典であるコーランを踏みつけたり便所に捨てるなど、意図的な冒涜も看過できない問題である。

 こうした問題が起きたときに感ずることは、意図的な冒涜は論外であるが、映画でいえば制作者、コマーシャルでいえば発信する会社が、宗教的問題があることを認識していないことこそが問題である。表現の自由とは、無知の自由ではない。発する言葉や態度に責任を持ってこそ、表現の自由があることを忘れている結果に他ならないであろう。

 私は僧侶であるが、時には神社や教会を訪ねることもある。そこはその宗教の聖地であるので、その宗教に敬意をはらい、ただただ丁重に拝するようにしている。観光寺院などで、口にものを入れながら仏さまを眺めている人がいるが、僧侶である私にはやはり不快感を禁じ得ない。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


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第2巻「帚木」その26

 空蝉との出会い

 月は有明で光がよわいながらも月影はさやかに見えて、かえって風情のあるあけぼのである。何心もない空のようすも、見る人によって艶にも凄くにも見えるのであった。人には知られない御心はたいそう胸が痛く、その気持を伝える手立てのないことと振り返りながら、この屋敷をお出になられた。

 屋敷にお帰りになられてからも、すぐにはお休みになられない。また再び会う方法のないことを、まして空蝉の心の内はどのようであろうかと、心苦しく思いやりになる。特に優れているところはないけれど、感じよく身をこなしている中の品(しな)であるなと、雨夜の品定めでいろいろな階級の女を知っている左馬頭のいっていたことは、まことであるなと思い合わせるのであった。

 近ごろは左大臣の屋敷にばかり居られる。やはり空蝉と別れてからは愛おしく思うことばかりが御心にかり苦しくお思いになられて、紀伊守をお召しになった。

「先日の中納言の子をもらえませんか。可愛らしげに見えたので、近くに仕えさせる人といたしましょう。後には童殿上(わらわてんじょう)といたしましょう。」とおっしゃると、

「たいそう恐れおおい仰せごとでございます。姉なる人に申してみましょう。」と申すと、君は胸が熱く思うが、

「その姉君には、子がおるのか。」

「そうではございません。この2年ほど伊予介の後妻となっておりますが、親の宮仕えの希望を違えての結婚で、不満があるように聞いております。」

「気の毒なことだな。上品な人と聞き及んでいるが。ほんとうに美人であるか。」とおっしゃると、

「詳しくは存じ上げません。煩わしいのでもて離れて、世間でいう母親が違いますので仲良くいたしておりません。」と申す。

(しばらくすると、この子を連れてくるが、光源氏の意図とするところは?)

あり‐あけ【有明】
月がまだありながら、夜が明けてくる頃。また、その月。ありあけづくよ。和訓栞「ありあけ、有明の義、十六夜以下は夜は已に明くるに月はなほ入らである故に云ふなり」。源氏物語帚木「月は―にて光をさまれるものから」(広辞苑)

あけ‐ぼの【曙】
夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始める頃。(広辞苑)

わらわ‐てんじょう【童殿上】ワラハ‥ジヤウ
平安時代以降、宮中の作法を見習うため、名家の子供が殿上に仕えたこと。また、その子供。赤色の闕腋けつてきの袍ほうをつけるのを例とした。うえわらわ。てんじょうわらわ。源氏物語少女「せうとの―する」(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 

十夜法要のご案内

 本年もお十夜の季節となりました。一日ではありますが、ご先祖のご供養とともに、み仏の教えにふれますよい機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい。
 お檀家の皆さまには、10月下旬に郵便にてご案内申しあげます。

日   時
11月18日(日)13時より
会   場
願成寺 本堂
法   話
「法然上人800年遠忌を健康で迎えるために」
講   師
慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター整形外科診療部長
橋本 健史 先生
塔婆供養料
3,000円
申 込 み
専用ハガキ、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

暮れの墓地大掃除のお知らせ

 毎年12月の第2日曜日は、暮れの墓地および境内地の大掃除となっております。お忙しい折とは存じますが、ご家族でご参加下をお願いいたします。当日は「温かい豚汁」を用意いたしておりますので、お掃除終了後お召し上がり下さい。

日   時
12月9日(日) 9時より (小雨決行)
お 願 い
できますならばお掃除の道具をご持参下さい。
駐車場が少ないのでご注意下さい。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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