今月、17日間ほどパリとトルコへ旅をしてきました。。パリに一週間、トルコに十日間ほど、パリは七年ぶり、トルコは今回始めてでした。
京都大学に留学に来ていたトルコ人の友人に誘われ、遊びに行くことになりました。私はしばしば海外に行っていますが、旅行することが特に好きというわけでありません。友達に会ったり、新しい人に出会ったり、世の中を他の視点から見るのが好きなので、いろんなところに出かけていきます。遊びに行くところは友達がいる場所で、ホテルに泊まったり、観光したりすることは、実はあまりしたことはありません。毎日の普通な生活を見るのが好きです。これは生まれ育った町が観光地であったためかも知れません。
勿論、綺麗なところに行ったり、綺麗なものを見るのも楽しいですが、普通の八百屋さんでどのような果物や野菜や食材が売っているか、地元の人がどのように生活しているかを見るのが好きです。
このように世の中を見ると人は案外どこにいても同じように見えてきます。文化や考え方が違っても、根本的にどの時代そしてどの国を見ても、人間はさほど違わないと思います。この考え方はとても単純かも知れませんが、根本的には人間は生まれてきて、死んでいく。生きている間は食べたり、飲んだり、寝たり、暖かい時は涼しい格好をして、寒い時は暖かい格好をするのです。日本では殆ど何でも手に入り食べたいものを食べることができ、好きなお酒を飲むことができて、着たい服を着ることができます。それにも関わらず不満を持っている人は数え切れないほど多いのです。いまや、贅沢三昧の世界に住んでいながら、不満な人がいるのはなぜでしょうか?
世の中には、食べるものがなくてお腹がすいている人、貧しくて学校にも行けない子供もいます。そうしたことを考えると、世界から見る日本は平和ボケしているように見えます。これは別に悪いことではありませんが、今の現状から言えばとても怖いことだと思います。一般の国民はどう思うのかよく分かりませんが、世界の状況の深刻さをあまり真剣に考えていない人が多すぎると思えてなりません(これは日本だけではなく、アメリカも同じ状況だと思います)。回りを見てると、平和がどれだけ大事で、戦争がどれだけ怖いものかという意識がないように感じます。今のままでよいのかと疑問をもつことが必要だと思います。そして何より平和を願うことが大切です。ここでは政治的な意見がどうのこうのと言うのではなく、人間として、仏教者として、平和というものを重視する義務があると思うからです。
今の世界は政治が複雑になってしまいましたが、本当にそんなに複雑なものかと私は疑問に感じます。複雑にしてしまうのは人間の欲やお互いの疑いであり、根本的に同じ人間なのだから、本当はそんなに複雑にする必要はないはずです。これは単純な考え方かも知れませんが、どの国でも一般の人は戦争を望んいないはずです。パリでは地下鉄の中で警察官が機関銃を持ち歩いています。私が旅行する前に、トルコの首都アンカラではバスの停留所が爆発され、何人か亡くなりました。これは他の国の問題ではなく、これからますます我々の問題になっていくのが今の現状だと思います。
友達会ったり、美味しいもの食べたり、美術館や博物館などに行ったり、素晴らしいものを見たり、楽しい旅行ができたましたが、一方ではこのような楽しい日々がどれほど続くかと危機を感じました。
グラスルーツやNPO、NGOで様々な人が平和のために活動していますが、私たちは決して忘れてはならないと思っています。
平和があるからこそ幸せであって、この当たり前のような平和が消えてしまえば、皆が苦しみます。仏教者として、そして人として平和を願うこと、いのちを大切にすることは今の世の中には欠かせないことです。一人一人がその願いを持ち、お互いに優しさと思いやりを示せば、世の中がもっといいところになれると思います。
原 真 理
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