3月は年度末の雑用で、バタバタしてしまいました。フッと気がつきますと、もう4月になりますね。そして、来週からは、大学の新学期が始まります。今年から、私もわずか2コマですが、大学でまた英語を教えることになりました。ちょっとワクワクしています。普段、翻訳の仕事ではあまり人と接することがないので、学生に教えたり、若い人と会ったり、話したりすることは久しぶりです。実は、半分楽しい気持ちと、半分責任の面では大変だなという気持ちで、心が二つに分かれています。
やはり、これからの若い人に教えることは、とても大切なことだと思い、教壇に立つことに決めました。しかし、語学は週一回の授業ではなかなか身に着きません。日本での英語教育が、殆どの場合ものにならないのは、この理由が大きいと思います。実際に、英語が日常生活に必要のない人も多いのが現実で、あまり英語を重要視する必要はないと思い、英語を教えるのをやめました。だが、今回は開教師(海外で僧侶として活躍する人)に英語を教えて下さいとのことでしたので、受け取ることにしました。将来、学生が開教師になりたいということは、わたしにとりましてはとても興味深いです。
話は変わりますが、最近、世の中では大変なことになっていると思います。あらゆる問題が世界中に発生しています。環境問題から、イラクの戦争、様々な国の権力争いから日本での高齢化社会。これらの問題を考えると、時々、絶望的な気持ちになりそうです。一人の人間として、何をすればよいのかが分かりません。将来が暗く感じることもあります。この世には、救いはないのかと思うこともあります。
日曜日に、友達と京都の街を歩いていたら、ドンチャン騒ぎのような太鼓の音と賑やかな声が聞こえました。後ろを見ると、平和デモに参加している人たちが行列でやってきました。その光景に友達は「何かお祭りみたいだ」と笑いますが、私は「笑い事でも、人事でもないよ」とつい言ってしまいました。そのデモはとても小さいもので、多分多くっても200人くらいかもしれません。目立っても、ドンチャン騒ぎとしか見られないデモに本当に意味があるか、疑問に感じました。同時に、何もできない自分に不満を感じました。
次の日、朝のお参りで、法然さまの『一枚起請文』を唱えていたら、「ただ一向に念仏すべし」の一句に心が打たれました。簡単のようで、なかなかできません。ただ一向に念仏すべし。これが法然さまが教えてくださった救いの道です。「南無阿弥陀仏」と唱えることで、救いを求める。お念仏で世の中が変わったり、問題が消えることはないです。だが、自分の心構えを変えていくことで、世の中を変えていくのではないでしょうか?
私はそう信じています。私にはお念仏がありますので、いろいろと世の中に悲しいことがありましても、前向きになれるのです。
まだまだ、自分自身がいろいろと勉強不足ですが、この学期からまた頑張ります。
原 真 理
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