現在、みなさんが7月1日に願成寺さんのメールマガジンを読んでいるときには、私はハワイにむけて飛び立っています。去年の7月にもハワイに帰り、8月にはそのことを書きました。
今年もまた、ラハイナ浄土院の盆踊りのために戻っています。家族やメンバー(お檀家さん)たちの笑顔を見るのが楽しみです。ハワイは時間の流れがゆっくりなので、戻るとほっとします。
ですが、そこに辿り着くまでは、まだまだ色々と仕事を片付けていかなければなりません。
この「独り言」を書いている現在は、実は6月22日です。毎月、25日の締め切りに間に合せるのにヒーヒー言っています。(ところで、全然話が飛びますが、京都国立博物館で、この夏も坂本龍馬の企画展が行われますが、坂本龍馬はよく「ヒーヒー」という表現を手紙に使ったそうです。)
原稿が遅れる事も時々あるので、魚尾先生にはよくご迷惑をかけています。月日が余りにも早く流れてしまうので、じっくり物事を考えることは案外贅沢な時間ですが、やはりこのような時間を作るのはとても大切なことではないでしょうか?あるスペイン人の友人が「物事を考える時間は、魂に栄養を与えるようなものだ」と言ったことがあります。なるほどと思いました。
最近の日本は余りにも人は働きすぎて、社会がマニュアル化、機械化されていて、魂に栄養を与えたり、「人間らしい」時間を過ごせない人が多すぎると思います。勿論、これは日本だけではなく、そしてそんなに最近のことではありません。
だが、秋葉原の事件などが起こると、やはり殺人者や被害を受けた方の問題だけではなく、社会的な現象として私は考えてしまいます。殺人者は一人の人間ですが、なぜこのようなことが起こったかと社会的なレベルで考える必要があると思います。引き籠りやいじめは社会的な現象になってしまっていますが、なぜこのようなことが起こるのかと真剣に考えなければならないのではないでしょうか。私は、この問題は「人間らしさ」がかけているからだと思います。
このような考え方は単純すぎるかも知れませんが、愛情であふれている家庭やゆっくりした時間がある環境では、このような出来事は想像できないのです。私は「Chicken
Little」(チキン・リトル)らしいところがあるかも知れません。チキン・リトルとは寓話の主人公で、ひよこです。大げさに騒ぐキャラクターで、木の実が頭に落ちてきたのを、空が落ちると思い込み、「空が落ちてくる!」("The
sky is falling!")というセリフが英語では良く知られ、寓話の題名にもなっています。(実は、このイギリスの寓話とされているお話は、もともとはジャータカ、インドの仏教説話からきたものだそうです。今は、ディズニーのアニメにもなっています。)
私もまたチキン・リトルのように、社会や世の中の問題を大げさに発言していると思う方もいるでしょうが、私にとって問題定義は必要なものです。物質社会のためか、マニュアル化や機械化のためか分かりませんが、最近回りを見ると無愛想や理不尽な人が多く感じます。仕事場でも、挨拶しない人も多くなっています。買い物に行っても、マニュアル通りにしか働けない人が多くなり、彼らの声までロボットのように聞こえてきます。人間は完璧な生き物ではない、融通が利いたり、心や体を癒したりすることが必要だと思います。
空は今すぐ落ちてこないと思いますが、世の中をもっと良い所にするためには、皆が自分のことばかりではなく、人のことを思いやり、お互い助け合わなければならないのではないでしょうか?
私にとっては、このようなことが「人間らしさ」です。
原 真 理
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