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第3巻「空蝉」その5「垣間見」
空蝉は、源氏の君が自分のことをお忘れになられるのをうれしいことと思いながらも、あやしくも夢のような出来事が心から離れる折もなくて、安心して眠ることのできないことを、昼は心さだまらず、夜は寝られないので、春でもないのに木の芽の暇もなく嘆かわしいのに、碁を打った君は、「今宵はこちらへ」と、現代的に語って寝てしまった。若い人は何の心配もなくたいそうよく寝るのであった。
衣づれの音の気配がして、たいそうよい香りがただように、顔をあげると単衣の帷子を打ちかけてある几帳の隙間に、暗いけれどそっと寄ってくる気配がはっきりと判る。あさましく思われて、ともかくも理解できず、やおら起きあがって生絹の単衣をひとつだけ着て、すべるようにして部屋を出てしまわれた。
君はお入りになって、ただひとりで臥しているのを心やすくお思いになる。長押の下には女房がふたりばかり臥している。衣を押しやりて、女のところにお寄りになるに、この前の感じよりは大柄に感じられるが、女が変わっているとは思いもよらなかった。ぐっすりと眠っているとはあやしく変わっていると、少しずつ不思議に思って、あさましいことと不満に思われたが、人違いであると判ってしまうのもおもしろくなく、女も不自然にお思いになるだろう。目的の人を訪ねよっても、これほどまで逃れようとする心があるようなので、それも甲斐のないこととお思いになる。灯の影にみえた女ならば、それはそれでよいと思いになるも、こまった源氏の君のお心であろう。
女は目が覚めて、たいそう思いもよらぬことにあきれた様子であるが、君は何ら女の心を気遣うこともない。男と女のなかを知らないほどよりはくだけた方で、かよわいばかりではない様子である。
私がだれであるか知らせないようにお思いになるが、この女はどうしてこのようなことになるのであろうと、あとで思いめぐらすであろうことは、私には特別なことではないが、あのつれない人が必死に世間を気にしているのもさすがに気の毒なので、たびたび方違えにかこつけになられ、こうして逢いにきたことをたいそう説明なさる。ことの次第を考える人ならば、今日のことを心得るであろうが、まだたいそう若い様子なので、ものごとがわかっているようであっても分別はつかない。憎いとは思わないけれど、特別にお心が止まる気持もなかったので、やはりあのつれない人の心をいみじくお思いになる。
どこかに隠れて、間抜けであると思っているのも、しつこい人は滅多にいないと思っているであろうとお考えになると、やはり、逃げた女のことがはっきりと思い出しになられる。
すずし【生絹】
生糸きいとの織物で、練っていないもの。軽く薄くて紗しやに似る。源氏物語空蝉「―なるひとへ」。日葡辞書「ススシ」、(反対語)練絹ねりぎぬ (広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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