平成20年9月6日、増上寺第87世ご法主であられる成田有恒台下が亡くなられた。平成13年にご法主になられ、7年のあいだ、浄土宗信徒をはじめ私どもにもお導きをいただいてきた。息子は、平成18年に台下のもとで浄土宗の血脈を授かり、僧侶としての出発をさせていただいた。
宗外にあっては、寺内大吉のペンネームで『はぐれ念仏』で第44回直木賞を受賞している。小説の冒頭、弁慶の話はセンセーショナルであった。当時僧侶になるには、法然上人もそうであったように、まず比叡山に登り勉学し修行するのが常であった。時として幼い少年たちは、荒くれた僧兵の慰み者になることもあったというが、いかつい弁慶にはだれも手を出さなかったとある。
作り物語ではあるが、源氏物語の光源氏も小君という少年をも可愛がっており、考えてみれば平安時代は貴族とて男色はそう不思議なことではなかったからである。
ところで、人の死を伝えるとき、一般的には「死去」とういう言葉か使われるが、その人に敬意を表する場合は「逝去」がつかわれる。
成田有恒台下の訃報を浄土宗としての告示の全文をあげると、
達示号外第34号
大本山増上寺第87世法主大僧正成田有恒台
下が、平成20年9月6日遷化された。
平成20年9月6日
浄土門主 坪 井 俊 映
とあり、亡くなられたことを、「遷化(せんげ)」と表現されている。遷化を広辞苑で調べると、「〔仏〕(この世の教化を終えて他国土の教化に移る意)
高僧の死去をいう。」とある。一般に僧の死去に用いられている。一般的には死の尊敬語としては「逝去」が用いられていることはご存じのとおりである。
あまり一般的ではないが、死去を表す言葉は厳格に表現されているので、広辞苑によって列挙してみよう。
ほう‐ぎょ【崩御】
天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死去を敬って
いう語。昔は上皇・法皇にもいった。
こう‐きょ【薨去】
皇族または三位以上の人の死去。薨逝こうせ
い。
そっ‐きょ【卒去】
(正しくはシュッキョ) 四位・五位の人の死去。
また一般に、身分ある人の死去。
昭和64年1月7日、昭和天皇が亡くなられた。各新聞の報道は、「天皇陛下御崩御」「天皇陛下ご逝去」といろいろである。天皇制を認めない共産党は「死去」と表現しており、それぞれの立場が反映された表現といえる。
10月1日の「浄土宗新聞」は、「成田有恒台下逝去」と報じている。表現にはそれぞれの立場があることは承知しているが、多少違和感を禁じ得ない。このメルマガが発信される日には、増上寺の機関誌『三縁』も発行されるが、どのように伝えるのであろうか。
わたしは、「お念仏」をいただくものの「死去」は、僧俗ともに「往生された」という表現が好きである。
だん‐しょく【男色】
男子の同性愛。なんしょく。衆道。若道にやくどう。(広辞苑)
おう‐じょう【往生】ワウジヤウ
@〔仏〕この世を去って他の世界に生れかわること。特に、極楽浄土に生れること。日本霊異記上「父母に孝養すれば、浄土に―す」
A死ぬこと。「大―」
Bあきらめてじっとしていること。どうにもしようがなくなること。閉口。「停電で―した」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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