願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、10月15日です。



無量寿経

 夏が去り、秋になりましたね。10月といえば、京都国立博物館での特別展「japan 蒔絵」が始まります。輸出のためにつくられた、輝きの世界が見られます。実はマリー・アントネットも日本の蒔絵を数々持っていたそうです(王妃の母、マリア・テレジアも漆器を集めていました)。9月は展覧会図録の英訳で大変でしたが、色々と勉強になりました。日本の塗物で殆ど見たことないような珍しい形や文様に出合うことができて、とても楽しいです。蒔絵というと、ご存知の方は桃山時代の「高台寺蒔絵」をイメージしますが、その時代に実は、後に「南蛮漆器」というヨーロッパに輸出するためのものが作られていました。やはり、国際交流は今始まったものではなかったのですね。
 この大規模の展覧会は、京都のあと東京でも行なわれますが、京都の会場の方が大きいため、東京では部分的にしか見ることができません。この秋はぜひ京都に見に来てください。実は、今回のテーマは蒔絵ではありませんが、素晴らしい展覧会になると思いますので、一人でも多くの方が見に来ていただければと、つい宣伝を長々としてしまいました。

 今回は、私の母が子供の時から耳がいたくなるほど言ってた「挨拶」について話したいと思います。「当り前」のことが案外当り前でないと、よくここで書いていますが、最近つくづくと思います。基本的な挨拶ができない人が社会に増えてきていると感じるのは、私だけですか?シャイだから、人見知りする人もいますが、例えば職場で上司が部下に挨拶をしないと、よく聞きます。それが普通だと言う人もいますが、それで良いのでしょうか?私には、そうは思えません。社会構造が、そういうところから崩れていくのではないでしょうか?人それぞれかも知れませんが、コミュニケーションの時代なのに、なんで人はコミュニケーションがとれていないのでしょうか?
 コミュニケーション (communication) は、一方で、メディアと関連するあるキャッチ・ワードになってしまっています。もう一方では情報や感情を伝える、物事を明らかにするという意味があります。語源が「共通」(common) であるコミュニケーションは、本来「分かち合う」 (share) や「参加する」(take part, participate) と言う意味もあり、コミュニティ (community、地域共同体、社会)ともつながっています。ただ一方的に情報を伝えるという意味ではなく、コミュニケーションは、お互いの気持ちや心を分かち合うということであります。ある意味、社会作りの土台でもあります。

 そこで挨拶のような基本的なことができない人が増えていく社会では、本当のコミュニケーションがとれていないということです。声を出して「こんにちは」と言わなくっても、目で相手を認識することもできない人もいます。京都では、自転車に乗っている女性の方がよく顔が隠れるほど大きい、黒いサン・バイザーを被っています。お肌のことを気にしていても、顔を隠してしまうのは異常だと思います。英語ではよく目で人が分かると言いますが、顔が見えなければ、そこではコミュニケーションが始まりません。

 挨拶は言うまでもなく、親はいつも、『無量寿経』に出てくる「和顔愛語」(和やかな顔と優しい言葉)も教えてくれました。笑顔で、優しく、楽しく生きていくことが人間の理想の姿ではないでしょうか?これはやはり挨拶から始まるのではないでしょうか?そこで、初めて本当のコミュニケーションが始まるのではないでしょうか?

 原 真 理


 平成20年9月6日、増上寺第87世ご法主であられる成田有恒台下が亡くなられた。平成13年にご法主になられ、7年のあいだ、浄土宗信徒をはじめ私どもにもお導きをいただいてきた。息子は、平成18年に台下のもとで浄土宗の血脈を授かり、僧侶としての出発をさせていただいた。

 宗外にあっては、寺内大吉のペンネームで『はぐれ念仏』で第44回直木賞を受賞している。小説の冒頭、弁慶の話はセンセーショナルであった。当時僧侶になるには、法然上人もそうであったように、まず比叡山に登り勉学し修行するのが常であった。時として幼い少年たちは、荒くれた僧兵の慰み者になることもあったというが、いかつい弁慶にはだれも手を出さなかったとある。
 作り物語ではあるが、源氏物語の光源氏も小君という少年をも可愛がっており、考えてみれば平安時代は貴族とて男色はそう不思議なことではなかったからである。

 ところで、人の死を伝えるとき、一般的には「死去」とういう言葉か使われるが、その人に敬意を表する場合は「逝去」がつかわれる。
 成田有恒台下の訃報を浄土宗としての告示の全文をあげると、

   達示号外第34号
     大本山増上寺第87世法主大僧正成田有恒台
     下が、平成20年9月6日遷化された。
   平成20年9月6日
                浄土門主  坪 井 俊 映

とあり、亡くなられたことを、「遷化(せんげ)」と表現されている。遷化を広辞苑で調べると、「〔仏〕(この世の教化を終えて他国土の教化に移る意) 高僧の死去をいう。」とある。一般に僧の死去に用いられている。一般的には死の尊敬語としては「逝去」が用いられていることはご存じのとおりである。
 あまり一般的ではないが、死去を表す言葉は厳格に表現されているので、広辞苑によって列挙してみよう。
  ほう‐ぎょ【崩御】
     天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死去を敬って
     いう語。昔は上皇・法皇にもいった。
  こう‐きょ【薨去】
     皇族または三位以上の人の死去。薨逝こうせ
     い。
  そっ‐きょ【卒去】
     (正しくはシュッキョ) 四位・五位の人の死去。
     また一般に、身分ある人の死去。

 昭和64年1月7日、昭和天皇が亡くなられた。各新聞の報道は、「天皇陛下御崩御」「天皇陛下ご逝去」といろいろである。天皇制を認めない共産党は「死去」と表現しており、それぞれの立場が反映された表現といえる。

 10月1日の「浄土宗新聞」は、「成田有恒台下逝去」と報じている。表現にはそれぞれの立場があることは承知しているが、多少違和感を禁じ得ない。このメルマガが発信される日には、増上寺の機関誌『三縁』も発行されるが、どのように伝えるのであろうか。

 わたしは、「お念仏」をいただくものの「死去」は、僧俗ともに「往生された」という表現が好きである。


だん‐しょく【男色】
男子の同性愛。なんしょく。衆道。若道にやくどう。(広辞苑)

おう‐じょう【往生】ワウジヤウ
@〔仏〕この世を去って他の世界に生れかわること。特に、極楽浄土に生れること。日本霊異記上「父母に孝養すれば、浄土に―す」
A死ぬこと。「大―」
Bあきらめてじっとしていること。どうにもしようがなくなること。閉口。「停電で―した」(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


浄土宗新聞


 

第269回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月17日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
長源寺 高木 泰孝 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月21日(金) 同時刻  西福寺 矢弓 尚善 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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