現在、日本で「国宝」というと、国が指定された歴史的や美術的に一番高い評価ある文化財を指しています。国宝が多く陳列される展覧会は、必ずブロック・バスター
(blockbuster)、大ヒットです。なかには、国宝は何処がいいのかよく分からないが、国が指定しているので素晴らしいものだと思う人もいます。もちろん、国宝級の作品は素晴らしいものが多くありますが、もともと「国宝」、国のたからもの、は「物」ではなく、人を指しています。
「国宝とは道心なり。道心有る人を名づけて国宝となす」、と天台宗の開祖最澄は、『山家学生式』と言う書物に説いています。最澄は、中国の故事に基づいてこの一句をお書きになられました。そこでは、魏王が、斉王に自分の宝玉を見せ、後者はどのような宝物を持っているかと訪ねます。斉王は、それより大事なものをもっていることを示す。平和を保ち、社会の秩序を守り、そして臣下が一人一人自分の役割をこなし、社会の一隅を照らすと、答えます。これにならい、最澄は道心(仏の道に帰依する心)を持ち、一隅を照らす者こそが国宝であると教えています。
最近、派遣会社をつかって、人を雇う職場が増えてきました。人を使い捨てのように扱い、仕事場に継続性を重視しません。フリーターも増えています。お店に入っても、社員教育ができていないところやマニュアル通りしか対応できない人が増えている感じがします。もちろん、なかにはただ態度が悪い職員もいます。しかし、多くの場合は、会社側が雇っている人に人間らしい対応をしないので、雇われている人がやる気を失うと思います。
先日は、あるギャラリーに用事で足を運びますと、受付の若い女性がそこに無表情で座っています。挨拶もしません。人見知りしているのか、ただそういう性格かも知れません。ですが、最近このようなことはよくあります。コンビニにたまに入ると、従業員が機械的な「いらっしゃいませ」を言い、無表情です。レジに行くと、私の顔を見ません。人がそこに立っていることを認識しないようです。私にしてはとても不思議に感じます。もちろん、ハワイのように皆が笑顔で挨拶することはなくても、人は機械ではないので、とても不自然に感じます。
自分のことしか考えない人が増えているのではないでしょうか?社会が、自分以外の人のことを考える余裕を与えてくれないのではないでしょうか?お互い人のことを思いやり、大切に思えば、自分ばかりのこと、自分ばかりの利益を考えることができないと思います。一人で生きているのではないので、自分だけが幸せになれるわけがないはずです。阿弥陀様の慈悲や目に見えない様々ことによって生かされています。
会社は、派遣を使って儲けることばかりを考えていますと、いずれは会社が腐っていきます。そして、そこにいる職員などが不満になります。社会も同じように、だめになります。あらゆるものが繋がっているので、段々と悪い影響が広がっていきます。これは、報告書に出てくる数字のように、目に見えて数えるものではありません。でも、実際に会社も社会も影響されます。目に見えないから、数えられないから、存在していない、あるいは評価できないと思う人も多いと思います。しかし、心や感情は、空気のように、目に見えなくっても、身近にある、我々の存在になくてはならないのです。だからこそ、「物」ではなく、人が国の宝であります。一人、一人が大切な宝石のそうな存在です。
原 真 理
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