願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、4月15日です。



ワシントンDCで、京都で絵画の修理修復を


サン・パウロの街中


イビウナ日伯寺(ブラジルの浄土宗のお寺)

 去年の年末、京都を発ち、3ヶ月ほど人生の旅に出かけました。職場の友人に、「スナフキンみたい。春になると戻って来るのね。」と言われました。雪が溶け、春になり、京都に戻って来ましたが、やはり、旅に出かけて本当に良かったと思っています。 いろんな出会い、お世話になり、楽しい旅ができて、とても感謝しています。今は、この体験をどのように語るかと、旅行の写真を見ながら考えています。いろんな思い出の中で、どこから始めればよいか、ちょっと困っています。

 今回は、長旅でいろいろと見て来ました。また、語りたいことは様々です。ハワイに里帰り、サンフランシスコ、ワシントンDC、とシカゴで友達に会い、ブラジルでは浄土宗のお寺を訪問しました。やはり、外に出て、外の空気を吸うと、世の中がどれだけ広いか認識するようになります。京都の生活は楽しいですが、だんだん視野が狭くなります。勿論、逆に言えば、他のところにいても、ひとつのところに止まっていると、段々そこしか見えなくなります。ときには場所を変えて、心をオープンにすることが大切だと思います。

 それは、新しいことに挑戦したり、たまには変わったことをしたり、違う方向からものごとを見ることではないでしょうか?もちろん、海外に旅行すると、言葉が通じなかったり、食べ物が違っていたり、すべてが新しく感じます。慣れていない環境のなかに、どっぷりと入るのです。旅行している時は、これが楽しい瞬間もありますし、ときどき怖く思うことや嫌な瞬間(迷子になったり、ものが盗られたりなど)もあります。早く家に帰りたいと思うこともあります。良い出会いもありますが、嫌な出会いも時々あります。でも、他の場所に行くと、必ず世の中を新しい目で見ることになります。

 体や心も、家と同じように大掃除をして、ものを整理したり、要らないものを処分すると、風通しも居心地もよくなります。体も、食べるものに気をつけたり、体操したり、ケアーしてあげると、元気になります。 心も反省したり、人生を考え直したりすることで、気持ちの整理がつきます。そうすると、自然に幸せになります。お念仏をすることも、同じように心を安らかにし、自然と素直な気持ちになれます。

 勿論、毎日の生活に追われ、周りが見えなくなることが多いです。今の世の中では、それが普通です。でも、それで本当に良いのでしょうか?ブラジルの生活のペースに驚きました。サン・パウロのような大都市では、皆忙しくしていますが、夜になると友達の家に遊びに行ったり、時間がゆっくりとなります。時間に追われるのではなく、仕事するときはちゃんと仕事して、遊ぶときは遊びます。

 日本に戻り、去年のあの忙しい日々はいったい何だったのでしょうかと思いました。今回の旅は、自分の人生を見つめる時間の必要性を再認識させられました。

 春がまたやって来たので、色んなことに挑戦したいです。ブラジルの旅行話や感想をこれからまとめて、何回かに渡ってここで書いていきたいと思います。

 原 真 理


 世界野球選手権で日本が優勝した。経済や政治では暗いニュースばかりであったので、じつに爽快であった。毎日テレビにかじり付いて応援をした。日本のプロ野球やサッカーの応援となると、家族であっても贔屓がちがうことから、ときには加熱しすぎるところがあるが、だれでもどこでも応援している相手が同じであるだけに盛りあがった。

 さむらいジャパンがキューバを破り、予選から2勝2敗である日韓での決勝となると興奮も頂点に達し、「雌雄を決することとなる」と報ずる記事(朝日新聞のネットでの配信)がある。たしかに「雌雄を決する」という言葉は、古くから使われてきたもので、「平家物語」でも決戦では常套手段の表現である。
 しかし、昨今「言葉の使い方」の配慮が求められる時代にあって、いかがなものであろうか。日本が勝つか、韓国が勝つか、5度目の対戦とあって妥当な表現のようにも思われるが、「雌」と「雄」の優劣を論ずることを譬えとすることは、平和や平等を基本的人権とする現代社会にあって適切な表現であろうか。
 ちなみに読売新聞は「韓国との決勝に臨む」、毎日新聞は「日本が連覇を達成するか」、日経新聞は「初の決勝進出をすでに決めている韓国と、今大会5度目の対戦をする」、日刊スポーツは「連覇をかけ宿敵韓国と対戦する」、NHKは「2連覇をかけて決勝で韓国と対戦します」、テレビ中継をしたTBSは「もう一度奪え!世界一」と報じている。

 政治家、教員、宗教者などにも不用意な表現が気になることが多いようにも思われる。なかには「言葉尻をあげつらう」「揚げ足をとる」と思う人もいるだろうが、それは違う。もともと自分の言動には責任を持つべきである。「言葉はその人の人格である」との自覚が必要と思われてならない。
 わたしもこうしたメルマガを発信するなかで、つねに心得なければならないことである。法話をするときに、教壇に立つとき、つねに気をつけるのではなく、自分の心のなかに差別の気持がないかを考えるべきであろう。「失言」とは、言ってはいけないことを不注意で言ってしまうことであるが、その根底には平和や差別という重要な問題を考えていないという自覚が必要であろう。平和や差別について、真剣に考えていないから失言が生まれてくるのである。
 きびしい言い方であるが、失言をした人は指導的な立場にたつ資格がないのかもしれない。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


書院建設現場


 

第275回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
4月17日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
如来寺副住職 荻田 宣史 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
5月15日(金) 同時刻  慶昌院住職 磯田 浩一 師

 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(金)  【13時】法要
法   話
未定
未定
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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