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第4巻「夕顔」その5(下の品の女に興味をいだく光源氏)
さて、あの空蝉の意外なほどまでにつれないことを世間の女とは違っているとお思いになるに、素直であるならば心苦しい過ちとしてやめてしまうのであるが、たいそう悔しく負けたまま終わってしまうことが気になってならない。
このような普通の女までお思いになることがなかったが、あの雨夜の品定めの後は、気がかりにお思いになる。中の品や下の品まで隈なくお心がとまるようであった。
信じて待っておられるもう一方の人(軒端荻)のことを可哀想とお思いにならないわけではないが、あのつれない人が聞いていたであろうことが恥ずかしいので、まずはこのつれない人の心を見定めてとお思いになるほどに、夫である伊予介が帰京した。
まずは光源氏のもとに急ぎ参上した。船路のためすこし日焼けしてやつれた旅姿は、たいそういただけない。しかし、本来それなりの身分であるので、容貌などは歳をとっているが清らかで、普通とは違って品格があるようである。伊予の国の話などを申しあげるので、「伊予の湯桁はいくつ」と尋ねたく思ったが、空蝉のことが気まずく、お心にさまざま思いになるのであった。
まじめな大人をこのように思うのも、まことに失礼であるな。ほんとうにこれこそ後ろめたいことであると、左馬頭の戒めをお思い出しになって、伊予介を気の毒に思うにつけ、空蝉の心は憎らしいが、このことは夫である伊予介にとってはよいことであるとお思いになられる。
娘(軒端荻)はしかるべき人に預けて、北の方は連れて国に帰るとお聞きになるに、たいそう心あわただしくて、いま一度逢うことができないかと、小君にお話になられたが、示し合わせたとしても、簡単に人目につかないようにするのは難しいのを。まして女は似つかわしくないことと思って、いまさら逢うなどは見苦しいこととあきらめている。だが女は絶えて忘れられてしまうことも寂しいことであると思って、さるべき折のご返事などは親しく申しあげ、無造作な筆使いにつけた言葉は、不思議にかわいく目がとまるようにしてあり、愛おしく思う人の気配であるので、源氏の君も連れなく憎いことと忘れがたくお思いになる。
もうひとりの方は、夫ができても変わらずにうちとけるであろう様子を頼みにて、とかく噂を聞くが、お心も動かないのであった。
*平安朝の貴族にとっては、日焼けした姿は好まれなかった。
いよ‐の‐ゆげた【伊予の湯桁】
(伊予の道後温泉の湯桁は数が多いので) 物の数の多いたとえ。源氏物語空蝉「…など数ふるさま、―も、たどたどしかるまじう見ゆ」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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