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第4巻「夕顔」その6(六条の方を訪れる光源氏)
秋にもなった。みずからのことであるが、藤壺への思慕で深く物思いにふけっていたので、大殿(葵の上のところ)では、絶え間の多いことを恨めしく思っていらっしゃる。
六条の方にも、受け入れられなかったお気持ちをなびかせてからは、繁く通って行かないことはいたわしいことである。しかし、深くおなりになる前の夢中になったときのようなことのないのは、どのようなことであろうか。
女(六条御息所)はたいそう思いつめになるご性分で、このことが人に知られると年齢がかけはなれているのも似つかわしくないのに、こうした君のよがれに眠ることもできず、思い悩まれるのであった。
君が訪れた霧深い朝、たいそう促されて、ねぶたげな気持を嘆きながらお帰りになるに、中将のおもとが、格子を上げてお見送りになるようにと御几帳を引かれたので、女は顔をあげて外をご覧になる。
前栽のいろいろと咲き乱れているのをやり過ごすことができず佇んでいる君のご様子は特別なものであった。廊の方においでになると、中将の君がお供をする。紫苑色の季節にあったものを身につけて、薄絹の裳をきちっと結んでいる腰つきは、しなやかで美しい。ふり返って隅の間の高欄にしばしお座らせになった。すきのない対応、髪の下がり具合などたいそう美しいとお思いになる。
源氏「咲く花に うつるてふ名は
つつめども 折らで過ぎうき けさの朝顔」
(咲いている花のようなあなたに心が移って、噂に
なることは慎まなければならないが、花を折らず
に過ぎてしまうことはつらいことであるな。)
いかようにしたらよいのであろうか」と、手をお取りになると、たいそう慣れていて、すぐに、
中将「朝霧の 晴れ間も待たぬ
けしきにて 花に心を とめぬとぞ見る」
(朝霧の晴れるのもお待ちにならずにご出発になら
れるのに、花に心を止めていらっしゃらぬとお見
受けいたします。)
と、私的なことではなくご返事になる。
美しい童がこのましい姿で、特別な指貫の裾に露をつけながら、花の中で朝顔を折ってくるなど、絵に描きたい風情である。
お‐もと【御許】
@御座所。おそば。
*A女性、特に女房を親しんで呼ぶ称。二人称の代名詞的にも用いる。源氏物語空蝉「―は、今宵は、上にやさぶらひ給ひつる」
B御許人おもとびとの略。
C女性の手紙の脇付わきづけ。「花子様―に」(広辞苑)
せん‐ざい【前栽】
*@庭前の花木・草花の植込み。また、その草木。せざい。伊勢物語「人の―に菊うゑけるに」
A前栽物の略。(広辞苑)
こう‐らん【高欄】カウ‥
*@宮殿・社寺・廊下・橋などの、端の反りまがった欄干らんかん。
高欄
A牛車ぎつしやの前後の口の下に張り渡した低い仕切りの板。
B椅子のひじかけ。(広辞苑)
おおやけ‐ごと【公事】オホ‥
@公けに仕えること。公務。また、租税・賦役。更級日記「―もなさせじ」
A朝廷で行われる政務・儀式・節会せちえなどの称。くじ。伊勢物語「―どもありければ、えさぶらはで」
*B私事でない、表だったこと。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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