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第4巻「夕顔」その7(頭中将の忘れられぬ女)
源氏の君をほんのわずかご覧になる人でさへ、関心を持たない人はいない。情緒も知らない山人でも花の影には休みたくなるのであろうか、この源氏も君を拝する人々は、それぞれの身分に応じて、自分のかわいいと思う娘をお仕えさせたいと願い
、あるはそれなりに思う妹などのいる人は、卑しい身分であっても、やはり君のおそばにお仕えさせたいと思わない人はなかった。
まして、しかるべき折のお言葉でも心ひかれる者で情趣を知る人は、どうしておろそかに申しあげることができようか。
君が朝夕につけてお出ましになられないのを、中将は心もとなく思っているのであった。
そうそう、惟光に預けた垣間見のことは、たいそうよく調べて申しあげる。
「誰であるのかまったく見当がつきません。人目にた
いそう隠れている様子でございますが、つれづれな折
には南側の半蔀のある長屋に渡ってきて、車の音な
どがすると若い者などが覗き見などをするようで、こ
の主と思われる女も近づいて来るようでございます。
顔立ちはほのかにしかみえませんが、たいそうかわい
らしくてございます。
ある日、前駆払いして通る車がございましたのを覗
いて、童女が急に「右近の君、早くご覧なさいませ。
中将殿がこれからお渡りでございます。」というと、さ
らに立派な大人が出てきて、「ああやかましい」と注
意をして「どうしてそうわかるのか。出てみよう。」とや
って来る。打橋のような道にて通ってこられます。急い
で来たので、衣の裾を者に引っかけよろけ倒れて端
から落ちそうなので、「いや、この葛城の神は、なんと
いう作りであるか。」と、覗き見の気持も失せてしま
ったようです。
「君は直衣姿で御随身どももおりました。だれ、か
れ。」など数えたのは頭中将の随身や小舎人童を証
拠にいっているのでした。」
と申しあげると、
「たしかにその車のあるじを見るべきであった。」
とおっしゃて、もしも雨夜の品定めで頭中将が忘れることのできない、あの風流な人ではとお思いになり、たいそう知りたそうなご様子である。
「わたくしの懸想もたいそういたしまして、案内を充
分にしてくれるようにしておきながら、わたしも同じ仲
間の女房としてものをいう若い人がおりますが、隠れ
て通っております。」
など語って笑う。君は「尼君の見舞いにいくついでに、垣間見させよ」とおっしゃた。
仮であっても住まいのことを思うに、これこそ頭中将がきめつけた下の品であろう。そうしたなかに思いの外におもしろいこともあるのかもと、お思いになるのであった。
惟光はいささかのことであっても,君の御心にたがうことのないようにと思っているので、自分も女にはこよなき好き心があるので、このように細かに歩きながら、しいて君がお通いになられるようになさった。
このあいだのことは煩わしくなるので、いつものように書くことはいたしません。
かいま‐み【垣間見】
(カキマミの音便)かいまみること。物の透き間からのぞき見ること。源氏物語(夕顔)「かの惟光があづかりの―は」(広辞苑)
は‐じとみ【半蔀】
上半分を外へ揚げるようにし、下ははめこみになった蔀。こじとみ。源氏物語(夕顔)「かみは―四五間ばかり上げ渡して」
ぜん‐く【前駆】
(古くはゼング・セングとも)騎馬で先導すること。また、その人。さきのり。さきけ。先駆。平家物語(1)「―(せんぐ)御随身(みずいじん)どもがもとどりきつて」
うち‐はし【打橋】
@かけはずしのできる、板や材木の橋。万葉集(2)「上つ瀬に石橋渡し下つ瀬に―渡す」
A建物と建物との間に仮にかけ渡した板の橋。源氏物語(桐壺)「―、渡殿のここかしこの道に
かずらき‐の‐かみ【葛城神】 カヅラ‥
葛城山(かつらぎさん) にいた一言主神(ひとことぬしのかみ)。役小角(えんのおづの)の命により葛城山と吉野金峰山(きんぶせん)の間に岩橋を架けようとしたが、容貌の醜いのを恥じて夜だけ働いたために完成しなかったという。
け‐そう【懸想】 ‥サウ
(ケンソウのンを表記しない形)異性におもいをかけること。恋い慕うこと。求愛すること。けしょう。源氏物語(若紫)「まことの―もをかしかりぬべきに」。「人妻に―する」
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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