かねてより準備をして参りましたが、去る7月1日をもって私のところが正式にお寺として認められました。「浄安寺」という名前で、神奈川県相模原市にあります。
新しいお寺と申しても、まだ普通の家の一部を改装して、御本尊様をお招きいたし、ちょっとした御法事などができる程度です。外見は一般の民家そのものですが、そうはいっても新しくお寺を始めるということも、なかなか稀なことでありますので、何回かその経緯を書いてみたいと思います。
私がまだ京都の道場で修行中だったころ、浄土宗に「国内開教使」という制度ができました。この制度にはいくつかの目的がありますが、その1つが大都市、主に東京の周辺地域でのベッドタウン化が進み、人口は増えたけれども寺院の数は江戸時代のまま、という大変つりあいの悪い状態を解消しよう、ということでした。
当初から興味はあったのですが、本格的に国内開教使の志望を固めたのは昨年の冬のことです。ですからおよそ1年半で開教使として任命され、また新しくお寺として認めていただいた、ということになります。
世間一般の感覚では決めてから1年半もかかっているという事実は決して早いとは思えないかもしれませんが、実際のところ、私は大変幸運に恵まれていましたので、これは非常に早い結果です。
何が幸運かといえば、まず浄土宗の側で実務を担当していた方が自分の中学校の同級生だったこと。私たち僧侶の世界は、何かしらのつながりがあることが多いのですが、それでもこれは大変珍しいことではあります。
さて、この方は非常に公正な方ですので、同級生だから何か手心を加えてくれる、といったことは一切ありませんが、私にとっては、何事につけても相談しやすく、尋ねやすいといった恩恵がありました。
無論手続きというものは定められていますので、その通りに進めれば良いのですが、実際には細かな部分というものは、往々にしてやってみなければ分からないものです。そんな時に担当者が全く面識のない方だと、やはり気後れしてしまいがちです。そのような意味合いで、心強い味方でした。
しかも、彼が開教関係の担当になったのが昨年の四月からでした。全く、これを幸運といわずして何を幸運と言うべきでしょう。
この他にも、ある方から制度ができた時の担当の和尚さんをご紹介いただいたり、以前から親しくご指導いただいていた和尚さんが、浄土宗内で現代の布教を研究する研究員で、貴重な助言をいただいたり、ということもありました。
あまり付き合いの広くない私の交友範囲の中に、なぜかそういう方面の方が多くいる、こういうことは計画してできることではありません。
ですから、このように早くものごとが進んだのは、全くもって運が味方してくれたからと言えましょう。
自分が発願したのですから努力するのは当たり前のことですが、それ以上に私が気にかけていたのは、自分の力で進んでいると勘違いしないようにすることでした。
人間は愚かなもので、順風の時は自分の力だと思いがちですから。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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