願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、11月16日です。



故郷ハワイのダイアモンドヘッド


故郷ハワイのマウイの夕日

 今月、妹がスペインで我が家の初孫を生みました。妹に似て、本当に可愛いです。「叔母ばか」でしょうか?我が家はみな離れて暮らしていますが、家族中でとてもハッピーです。赤ちゃんの写真やビデオを見ると、命は尊いと肌で感じます。赤ちゃんは、やはりどこでも可愛いですね。本当に奇跡的な存在です。そういえば、皆さんも、私も、最初は赤ちゃんでした、そして、今生きていること事態が奇跡なのです。残念ながら、それを忘れてしまう人が多いと思います。命の尊さを感じなくなり、命があることを当たり前のように考える人もいます。ですが、その当たり前のような命は、決して当たり前ではありません。

 仏教の教えでは、人間に生まれて来ることは、とても大変なことで尊いことだと言っています。これは、人間が他の存在より偉いと言う意味ではありません。ただ、今、ここで、人間として生まれて来ることは、素晴らしいことであり、その喜びの大切さを示しているのです。感謝の気持ちを持つことを、教えてくださっています。感謝の気持ちを持つ人は、人生が素晴らしい、そして楽しいと心から感じる人だと思います。そこで、初めて生きる喜びを感じるのではないでしょうか?

 生きる喜びは、遊んで楽に暮らそうとすることではなく、生きていて良かったと、実感することが大切です。それは、日頃の生活に充実感や満足感があることだと思います。簡単のようなことですが、人生に対して充実感がない人が、最近増えて来ているように感じます。

 先日、久しぶりにヨガ教室に行きましたら、ニュー・フェースが何人かいまして、自己紹介がありました。その中に、精神科病院でカウンセラーとして務めている女性と看護婦さんがいました。カウンセラーと話していたら、最近うつ病の方が多いと聞きました。看護婦さんも、最近はオーバー・ドース(overdose、薬を飲み過ぎて)で病院に運ばれる人が増えたと言っていました。女性も、男性も、年齢は様々です。

 私は、どうしてこの様になるかと悩みます。人は、なぜ落ち込んだり絶望的になったりするのでしょうか?仏教では、精神統一ができていないと心が揺れたり迷ったりすると教えます。心の迷いがあると、人間は苦しむ。目的や夢がない人が、増えて来たと思います。引きこもりも、外に出る意欲をなくすのも、いじめに合ったり、絶望的になったりしているのでしょうか?どうしてそうなるのでしょう?そして、どのようにそのような人を助けられるのでしょうか?

 周りに友達や知り合いで、うつになっている人が何人かいます。そのために薬を飲む人もいます。どうすればいいのか分かりません。ヨガ教室の看護婦さんは、うつ病についていろんな研究はなされていると言っていました。様々な調査もありますが、ただ数字を蓄積しているだけで、どのようにそういう人たちを助けられるかと提案するところまでは、なかなか辿り着かないようです。
 ただ、それを取り戻せるのは、悩んでいる本人しかいないと思います。でも、そのなかで、「悩んでいるのは、独りではないのよ」と私は声をかけたいです。「絶望しているのは、独りではないですよ。」と。

 目的や夢を持つことは、大切です。自分が自分を好きになることは、大切です。手を合わせて感謝の気持ちを持つことが、大切です。そこで、初めて生きている喜びを感じるのではないでしょうか?

 

 原 真 理


 「におい」は、一般的によいにおいを「匂い」といい、不快感のあるものを「臭い」という。ただ「におい」には、個人差があるので難しいところがある。煙草を嗜む方は、葉巻煙草の芳醇な香りを良しとするが、嫌煙の方にはとんでもないことである。食べ物にしても、世界一臭いといわれるスウェーデンのニシンを塩漬け発酵させた缶詰「シュールストレミング」、果物の王様「ドリアン」はあまりにも有名であり、我が国では、「くさや」「鮒ずし」が代表格であり、好むのはいささかマニアックといえるかも知れない。
 よい香りの代表格としては「香水」や「お香」が思い出されるが、どうも生活環境をさらによくするアイテムとして利用されてきたようだ。好みの問題はあるが、部屋に入ったとき、ほのかに感ずる香の薫りは良いものであり、女性の香水もTPOをわきまえていればOKであろう。

 きっとどこの国にも、好まれる香りと嫌われる臭いとがあって、一喜一憂するのであろう。ただ、「におい」は時間が過ぎると、麻痺をしてあまり感じなくなるところもおもしろい。我が家では佛さまに供えた果物、特にリンゴはお香の匂いを吸収してしまい、俗に香臭くなる。ところがお寺で生活をしている我々には気になるものではなく、美味しくいただく。

 ところで学名「トウダイクサ」(灯台草)と呼ばれる植物をしっていますか。私もまだ見たことはなく、一度は拝見したいと思っている植物である。日本各地に自生していて、ポインセチアが仲間であるというが、園芸店で売っていることはない。その理由は、とても臭いということである。好奇心に駆り立てられ、すぐにでもとの思いである。
 その仲間に「伊蘭(いらん)」という木があり、「伊蘭の林に交われども赤栴檀の香は失せず(いらんのはやしにまじわれどもしゃくせんだんのかはうせず)」という言葉がある。『観佛三昧経』によるもので、伊蘭の臭いは屍のごとく、その臭いは40由旬に及び、花は紅色にして愛楽であるが、食するに発狂し死んでしまうという。そんな伊蘭の林にあっても栴檀は染まることがないというのである。
 正しいものはどんなものにも影響されることのない譬えであり、念佛もまた同じであるという。

 信仰の心とはこうしたものであろう。しかし、誤った信仰には注意が肝要であることはいうまでもない。


ゆじゅん【由旬】(梵語 yojana)
古代インドの距離の単位。1由旬を約7マイルまたは9マイルとするなど、諸説がある。ゆうじゅん。(広辞苑)

《佛説觀佛三昧海經》卷1〈1 六譬品〉
「復次父王。譬如伊蘭倶與栴檀。生末利山。牛頭栴檀生伊蘭叢中。未及長大。在地下時芽莖枝葉。如閻浮提竹筍。衆人不知。言此山中純是伊蘭無有栴檀。而伊蘭臭。臭若□屍梹l十由旬。其華紅色甚可愛樂。若有食者發狂而死。牛頭栴檀雖生此林未成就故。不能發香。仲秋月滿卒從地出成栴檀樹。衆人皆聞牛頭栴檀上妙之香。永無伊蘭臭惡之氣。佛告父王。念佛之心亦復如是。以是心故能得三種菩提之根。」

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


沈香包み


沈香


 

第282回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
11月20日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
西福寺住職 矢弓 尚善 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
12月18日(金) 同時刻  大泉寺副住職 小島 健布 師

 

暮れの墓地大掃除のお知らせ

 毎年12月の第2日曜日は、暮れの墓地および境内地の大掃除となっております。お忙しい折とは存じますが、ご家族でご参加下をお願いいたします。当日は「温かいおでん」を用意いたしておりますので、お掃除終了後お召し上がり下さい。

日   時
12月13日(日) 9時より (小雨決行)
お 願 い
できますならばお掃除の道具をご持参下さい。

 

修正会(新年会)のお知らせ

 恒例の新年の初参り、護持会総会、新年会を開催いたします。ご申込は、暮れのお参りの折、またお電話にて前日までにお願いいたします。

日   時
1月4日(月) 11時より
内   容
初参り、護持会総会、福引き、会食
会   費
2,000円
申 込 み
暮れのお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

本メールマガジンがご不要な方は、
下記URLから配信を解除できます。


http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)