先日、新型インフルエンザを患い、折悪しく所用がたてこんでいたので本復できないうちにあれこれと外出を繰り返しておりました。やはり、というべきかその後症状がぶり返し、結局1週間ほど寝付くことになってしまったのですが、その折に感じたことです。
人間誰しも体調の悪い時には、多少とも精神的に不安になるものです。私の場合にはたまたま妻も体調を崩してしばらく前から実家へ戻って療養中でした。つまりは自分ひとりきりで居たわけで、そうなるとますます不安になります。いろいろと試してはみたのですが、読書をしても頭に入ってきませんし、騒々しいことはかえってわずらわしい。
結局は布団で横になっているしかないのですが、その時間にお念仏を称えることにしてみました。少し気分は落ち着いてきたのですが、まだ不安感が残ります。ふと思いついて、お数珠を持ってきて握りながらお念仏してみました。すると完全にとは申しませんが、非常に気持ちが落ち着いて楽になり、自分でも少々驚きでした。
皆さまご存知の通り、浄土宗のお数珠は「日課二連」とよばれる独特の形ですが、数珠というものは本来、数をかぞえる道具であって、それ自体に特殊な意味があるわけではありません。ですから、これはお数珠そのものというより、別の理由で気持ちが落ち着いたのであろうと思いました。
自分なりに考えてみたところ、まずは普段慣れ親しんだものが身近にあるという安心感。それから、仏の教えに守られているという安心感。さらには、「これで大丈夫」という根拠のない安心感。根拠がないとはいうものの、もっと突きつめていってしまえば、結局のところ、お数珠というものがお袈裟とならんで、私達の意識の中に、仏教を象徴するものとして染み込んでいるから、ということになるのでしょう。
私達がふだん道具をみるときには、「何のための」ということだけを考えがちです。道具だけではなく、「おこない」をみるときにも「何を目的として」ということだけを問題にします。けれども、決してそれだけではありません。そこにこめられた思いや、そこに至るまでの来歴などが、同じほどに、時にはそれ以上に意味のあること。改めてそれを思い出させてくれた、そんな体験でした。
体調の悪い時だけではありませんが、皆さまも不安な時などお念仏をお称えになってみてはいかがでしょう。きっとお気持ちが軽くなることと思います。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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