遅ればせながら、新年おめでとうございます。本年も拙文を御笑読いただければ幸いです。
さて。年末年始というのは、何かと会合の多くなる季節です。誰しも2つ3つは忘年会や新年会のお誘いがあることと思います。そこで気が付いたと申しますか、移転して一年になろうというのに、うかつにも今まで気付かなかったと申しましょうか、気になったことがありました。
夜、とっぷりと日が暮れてからお寺へ帰ってくると、近隣のお家の中で門灯が点いているのは浄安寺だけなのです。これが夜の早い時間、宵の口ですとご近所でも門灯の点いているお宅はありますので、どこかで区切って消灯しているのでしょう。ちなみに浄安寺は夜が明けるまで点灯したままです。
少々気になったので地元の方何人かにうかがってみると、「家族が全員帰って来たら消す」「一般的な生活時間内だけ点灯している」「来客など特別な時以外はつけない」などというお答えでした。また直接お話を伺ったわけではありませんが、ご友人に「つけっぱなしはエコに反する」という方がいるということも伺いました。
元来が私は東京都心の出身で、あちらでは門灯は一晩中点灯しておく、ということが暗黙のルールでした。現在でもマンションのホールなどは終日明かりが点っていますし、一般家庭でも大概門灯は点けてあります。
これは一つには治安が悪いから自衛するということでもありますが、同時に自分の住む町中というのは自分達で管理するという、恐らくは明治以前にまでさかのぼる感覚にも因るのだと思います。
一方、そういう習慣の無い地域というのは、治安上の不安が少ないとか、あるいは伝統的な、日暮れてから外にいるのはまともではない。といった感覚がどこかに残っていらっしゃる、ということが理由なのでしょう。もちろん、「エコではない」というのは、また全く別の次元の問題ですが。
地域によって同じことでも全く感覚が違うのだ、ということは承知しているつもりなのですが、こうして思いがけないところで出くわすと、一瞬とまどってそしてまた少し笑顔が浮かんできます。
同じ安全のための設備であっても、かように用いられ方が異なっているということ。そのことそのものが、なんとはなく楽しくなってくるのです。
自ら戒めてはいても、いつの間にか自分は正しい、と思ってしまうのは人間の性と言うべきでしょう。けれどもこうして事実として眼前に現れると瞬間的に「ああ真実は一つではない」と思い出させてくれます。
自分達の自発的な設備である門灯はそんな状況ですが、その一方で行政の整備した街灯は、一晩中じっと道路を照らしています。その対比を見ていると何かを思い出しそうな気もするのですが・・・
残念ながら、それが何なのかはまだ良くわからないのです。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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