昨年の暮れ、気象庁が「桜の開花予想」の発表を中止した。まず当人の弁を掲載しよう。
気象庁では、昭和30年から毎年3月〜
4月にかけて、全国(沖縄・奄美地方除く)
の気象台等が観測しているさくらを対象
として、さくらの開花予想の発表を行って
きましたが、最近では、全国を対象とした
当庁と同等の情報提供が民間気象事業
者から行われています。
このため、当庁でこれまで行ってきた応
用気象情報としてのさくらの開花予想の
発表につきましては、来春から行わない
こととします。
なお、生物に及ぼす気候の影響を知る
ことを目的としたさくらの開花の観測は引
き続き行うこととします。また、これまで
気象庁で用いてきた予想方法につきまし
ては、気象庁ホームページ内の以下のア
ドレスに解説のページを設けましたので
併せてお知らせいたします。
(気象庁ホームページより)
民間気象業者がおこなっているので止めるのだというが、結論からいうと私には残念でならない。河津桜の開花報道を見るにつけ、いや憤りすら感ずる。
日本の国にとって「さくら」はどのような存在であろうか。我が国を象徴する花であることには異論がなかろう。ジョージワシントンの「さくら」の話や東京の尾崎行雄市長から贈られた「さくら」がポトマック河畔で咲き続けていることは、あまりにも有名である。 中国の西安には、遣唐使で日本に帰ることのできなかった阿部仲麻呂が望郷の念を詠んだ歌「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の歌碑が立てられ、周辺には「さくら」が植えられ、日中友好の象徴となっている。
さらには、醍醐朝の古今集に始まる勅撰和歌集においては、単に「はな」といえば、おおかた「さくら」の花を指している。「お花見」は「さくら」の花を見ることに限定されており、藤の花を愛でるのは「藤見」であって「お花見」ではないのである。
「さくら」の花は、古来より我が国の象徴であり、「さくら」の花を愛でるというひとつの文化であるのに、国の機関である気象庁が何故に「桜の開花予想」の発表を中止するのであろうか。すばらしき日本の情緒の世界を捨ててしまうという行為であることに気がつかない限り、気象庁ばかりでなく血の通った行政は望めないことであろう。今の日本の国が、日本人が、もっとも失ってはいけないものである。
一部のブログに、「桜の花期予想が外れることが多くなったので中止したのではないか」と、まことしやかに語られているが、私も信じたくなる次第である。
地球の温暖化が叫ばれているときに、気象庁が属する国土交通省は蚊帳の外に出たというべきか。
法然上人のご命日は1月25日であるが、本山の遠忌法要はすべて4月の「さくら」のころおこなわれる。今年も桜の満開の時期、増上寺や知恩院で法然上人799年遠忌に手を合わせたい。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
|