昨日、日本の調査捕鯨で捕獲した鯨の肉が韓国へ密輸された疑いがあると、非政府組織の「国際動物福祉基金」(IFAW)が発表、調査捕鯨の鯨肉は国内で販売できるが、輸出入はワシントン条約で原則禁止されているのである。その調査方法は、市販されているクジラ肉を購入、またレストランで提供される肉を入手して、そのDNA鑑定で分かったという。個体由来のDNAから捕獲されたクジラの頭数を割り出し、調査捕鯨のため捕獲された頭数との食い違いも指摘している。
また今年の米アカデミー賞を受賞した「ザ・コーヴ」は、盗撮により和歌山県太地町でのイルカ漁を告発した内容であり、改めてイルカ漁が問題視された。とかくクジラとイルカはいろいろな問題を提示してくれる。
ところで、私は子供のころよくイルカの肉を食べて育ってきた。ご承知のように三島市には海がないが、10キロと行かないで沼津市に漁港がある。戦後まもなくの時代は、各家庭に冷蔵庫があるわけでもなく、浜に上がった魚はその漁獲量によって値崩れを起こし、投げ売りをされていった。庶民にとっては願ってもないことであり、山盛りの鰯の煮付けがテーブルにある。調理の苦手な母が、しょう油とサッカリンで甘辛く煮たものであるが、腹一杯のサカナはご馳走であった。 小さな鰯を箸で一匹ずつきれいに食べたものである。
どこの家も同じようなもので、肉などは特別の時にしか食べたことがないように思う。すくなくとも牛肉のすき焼きは、我が家では一年に一度であり、大晦日のご馳走であって父が鍋に肉を入れる様子は儀式じみたものであった。
そんな時代、イルカの大漁があると、ブロックに切り分けられた肉が安く売られる。肉臭さを取るためにゴボウとの味噌煮が多い。皮に着いている脂身がコクを出していて、温かいご飯に汁ごとかけてよく食べたものである。固い肉も、当時は歯ごたえのあるものとしてうまかった。ときとして郷愁からであろうか食べたくなるが、自宅で食することはない。
妻や子供の猛反撃を受けることになるかも知れないからである。妻はたぶん「わんぱくフリッパー」を見て育ち、子供はイルカのショーを楽しんで育ち、ともにイルカは人間の善き友であるという認識である。それを食べるというのであるから、批判の矢面に立たされることとなる。そういうわたしもテレビで見るまでは、イルカの姿を見たことはなかったのである。
食べるものが豊富になった日本において、クジラやイルカを本格的に食料としなければならない必然性がどこにあるのかと問われると、返事に窮する。
地球規模での人口増加にともなう食糧資源としての確保、沿岸の小魚を大漁に食べてしまう、また漁網を破壊するイルカの群れの駆除といわれると、食料としての捕獲に問題がないようにも思える。イルカを食べることと牛を食べることとどこに違いがあるのであろうか。自然界の動物と家畜と命の重さに違いがあるのであろうか。
かつてはアメリカ人は、クジラから燃料としての油を採取するためにハワイでクジラ漁をおこない、クジラの血で湾内が真っ赤に染まったという。その総括はどうなっているのであろうか。
このメルマガの写真のためにイルカの肉のみりん干しを購入してきて、この2日ほど冷蔵庫にある。妻と息子にはメルマガの写真用といってあるので、何もいわれない。
じつは地元のマーケットにいくと、その時期になるとすこし肩身が狭そうであるが陳列されている。なかには気がつかない人もあろうが、業者は売れるから仕入れるのであることも事実である。
ちょうどイルカのみりん干しが出回っていたので、この記事を書くことにしたのだが。家族のいない折、ひとりして炙り酒の肴として堪能しよう。久しぶりである。
ふと自分が僧侶であることが気にはなっている。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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