願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、6月1日です。



家族葬専用式場


従来型式場

 近年、従来のような葬儀は不必要であるという意見を、しばしば耳にします。今年、ある宗教学の先生が『葬式は、要らない』、という題の新書を出版されて以降は、まるで流行の様に論じられています。
 NHKを始め大手新聞、TV、各種雑誌(硬い論説中心の綜合雑誌からファッション誌まで)などが、こぞってこの話題を取り上げており、またインターネットの世界では随分以前から議論されていました。

 そこで何回か僧侶の立場から、「葬式不要論」について述べてみます。お断りしておきますが、『葬式は、要らない』を批判する意思は全くありません。題名はドキッとさせますが内容は穏当な書物です。
 さて、「葬式不要論」ですが、世間的にあまり厳密な定義がされて通用している言葉ではありません。なんとなく、伝統的な葬儀や墓地、先祖供養などを、総体的に否定するイメージで使われていますが、ここでは個別にわけて考えていきます。

 今回は伝統的な通夜、葬儀といったものに否定的な意見について考えます。

 「伝統的」といっても、本当に古くからのやり方、地域の人々が集まって自宅で通夜をし、翌日葬列を組んで・・・といった方式のことではありません。
 生前に格別な信仰がなかったにもかかわらず、仏式で葬儀をすること、それから故人と特に親しいわけでもない、仕事上のお付き合いの方などもお呼びすること。こういったことが批判の対象になっています。

 この様な意見に対しては非常に明確にお答えできます。私達仏教の僧侶としては、仏縁を結んでいただくことが当然望ましいことですが、かといって強制するわけではありません。神道、キリスト教、イスラム教、その他多くの宗教があるのですから、故人およびご遺族の意思でいかなる形式の葬儀をなさっても全く構わないことです。

 こう申し上げると、「親族が」「菩提寺が」という方もありますが、親族のことはあくまでその一族の問題で、傍から意見する問題ではありません。自分達で考えなければならないことです。
 まして菩提寺が云々は論外です。私も時々相談を受けることがありますが、葬儀は自分達の好きにするが、埋葬だけはお寺にあるお墓にしたい、そういう方がおいでになります。例外的に複雑な事情があることもありますので、そうした場合は個別に相談致します。しかし、そもそもお寺の境内に墓地があるということは、そのお寺の宗旨を信仰していますということにほかなりませんから、信仰がないのならばお寺から離れれば良いのであって、墓地だけを任意に使用するということはありえません。

 ちなみに特に都市部では霊園墓地の影響もあって、墓地を財産だと考える方がいます。しかし寺院の墓地は、一定の約束事の上でお寺の土地を使っているのであって、決して個人の財産ではありません。

 さて、続いてお呼びする方の範囲ですが、最近はお身内だけでする家族葬が大変に増えてきています。その理由としては、一つにはお身内だけでゆっくりと送りたいというお気持ち、もう一つは葬儀に伴うご遺族の様々な負担を軽くするという実利的な意味合い、二つながら満足させる方法だからです。

 はっきりした統計はありませんが、東京、神奈川あたりでは仏式の葬儀の半数位ではないでしょうか。この場合には故人と交友のあった方には、後からお知らせするという形式になります。都市部の人間関係を踏まえたやり方で、これは確かに一つの考え方だと思います。
 ただし、お身内以外で、故人と最後のお別れを告げたかった方、本当に親しかったご友人などの思いはどうするのか、という問題があります。この点については、また回を改めて考えたいと思います。

 それから、ある程度の社会的立場の方の場合には、良く検討されることがよいと思います。私の存じているお宅では、お身内だけでなさった後で、聞き知った方が次々と弔問にこられてかえって大変な思いをなさったお宅があります。

 結局は事前にご家族でよく話し合うことが大切、という非常に平凡な結論になります。ただその折には、メディアに流れている情報を鵜呑みにしないことが大切です。私達が見て驚くようなことが、常識とされていることが多々ありますから。

 しばらく前までは、死について語り合うことは不吉なこととされて、生前に葬式の話などしないことは暗黙の了解でした。
 しかし、これだけ死や葬儀について価値観が多様化している現在、生前に大切な人々とどのようにお別れするかを考えておくことは、非常に大切なことだと思います。

 当たり前ですが、生まれた以上、誰しも必ず死を迎えるのですから。

 浄安寺住職  八 幡 正 晃



 八重桜の花も散り、お寺は今、落葉の季節である。「新緑の季節」はわかるが、今なぜ落葉なのかと思われるであろう。じつは常緑樹のおおかたは、この季節に葉を落とすのである。何か常緑樹というと、一生その葉は替わらないかのように思われがちであるが、おおかたの常緑樹が1年に一度、葉を付け替えるのである。
 境内には門の代わりとなっている大きな一対の楠木を始め、大小数本の楠木が、今盛りと葉を落としている。

 葉の新旧の入れ替わりには二通りがあって、落葉樹は自分の葉の脇に新芽が形成されると、その寿命を終えて落ちていく。その芽はこれからの厳冬を乗り越えていくために、まだまだ小さく固いものであるが、確固たる新芽を確認しての落葉である。
 それに対して常緑樹は、新しい芽ができても木に残り、新芽が吹いて若葉ができてくると落ちていくのである。なにか後継の葉を確認しての落葉とでも云おうか。ともあれ次世代を確認しての落葉であることに変わりがない。

 秋よりも落ち葉の多いこの季節の掃除は大変であるが、最近は風情すら感じる。若いころは落ち葉があるとすぐに掃除をしなければと思い、落ち葉との戦争であった。近ごろは、落ち葉は自然のこと、むしろひととき落ち葉と対話して、落ち葉を楽しんでから掃除をすればよいと考えるようになった。もっと季節の移り変わりを楽しめばよいのである。

 ところで浄土宗は、法然上人800年遠忌法要にむけて、「共生(ともいき)」の心を説いている。還暦を過ぎた我が人生、自然との出会い、人との出会い、何事も少しゆっくりとみんなとともに行動していこうと思った。いや「共生」は、阿弥陀さまとご一緒させていただくことであろう。
 そう考えますと、カウントダウンの始まった我が人生、すこし穏やかな気持ちになった。そうはいっても、遣らなければいけないことは山ほどあるが、決して言い訳にするつもりはない。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


楠木(願成寺)


楠木の新芽



 

第288回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
5月21日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
養雲寺住職 青野 溥芳 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
6月18日(金) 同時刻  福泉寺住職 岩佐 善公 師

 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月30日(日)  【13時】法要
法   話
大場 朗 先生 (大正大学教授)
古典文学と仏教
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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