願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、7月15日です。



山寺(1)


山寺(2)


姥堂

 6月の中旬に山形の山寺へと参拝してきました。6月中旬とは思えない暑さの中、奥の院までの階段はなかなか辛いものがありました。本当であれば、芭蕉の句のように「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と蝉が鳴いてる時期に参拝したかったのですが…それでも新緑の中、奥の院まで登る山道は素晴らしいものでした。
 さて、山寺の山門を少し登った所に姥堂 ( うばどう ) というものがあります。このお堂の本尊は、地獄の河原にいる神とも鬼とも言われる奪衣婆 ( だつえば ) 。この姥堂より上は極楽、下は地獄であるという浄土口で、姥堂の横にながれる岩清水で心身を清め、新しい着物に着替えてから極楽へと登っていくというところから、姥堂が建てられているのだそうです。

 今回は奪衣婆について少し書いてみようかと思います。奪衣婆というのは、地獄の入り口である三途の川の河原で地獄へと向かう罪人の衣類を奪う老婆であり、『地蔵十王経』には、葬頭河 ( 三途の川 ) の河原に衣領樹という樹の下に懸衣翁という鬼と共に居て、河原で牛頭の鬼に追われて来た罪人の衣服を奪衣婆が脱がせ、懸衣翁がその衣を衣領樹にかける。また、衣の重さは罪人の罪の重さだと言われています。
 ではなぜ奪衣婆が罪人の衣を脱がせるのか、これには所説ありますが、隆尭という天台宗の僧侶が書いた『十王本迹讃歎修善抄』には以下のように書かれています。罪人は、衣を取られると奪衣婆に、「裸のままでは王(閻魔大王など、罪人を裁く王のこと)の御前に出るには恥ずかしい格好であり、その衣を返して欲しい」と嘆願する。しかし、奪衣婆は「おまえら罪人には、裸など恥ずかしくもなんともない。おまえ等が生前に重ねた罪の方が恥ずかしく、衣などおまえら罪人が着ていても、地獄の炎で燃えてしまいもったいない」と罪人を責め立てる。と書かれており、裸が恥ずかしいと思うなら、その身の罪を恥ずかしく思えという教えから衣を脱がしているのだと書かれています。

 服というのは、男女関係なくファッションとして楽しめるものです。私自身も好きなデザインの服を着たいなと思うことも多々あります。しかし、どんなに綺麗に服をコーディネートしても、着ている人の心の中が素晴らしくなければ、外見だけになってしまいます。
 本来ならば心も素晴らしいのが一番なのでしょうが、人は時には怒り、時には嫉妬や憎悪を感じてしまうものです。仏教では嫉妬や憎悪など人の悪口などをいうのも罪であると考えます。私たちは人間である以上、そういった感情を持たないことは難しいかもしれませんが、服を着た時、服のコーディネートをする時に、服だけでなく心も綺麗にと思い、死んだ後に奪衣婆に服を渡さなくてよい生活をしていきたいものです。

 天主君山現受院願成寺副住職
 魚 尾 和 瑛



 私と同世代の方のご葬儀を勤めさせていただいた。定年を迎えて第一線を退いたものの、まだこれからの自分の人生のことや、親を始め妻や子供と家族のことをいろいろと考えたことであろう。どんな思いで病気に立ち向かい、死を意識していったのであろうか。

 私自身に置き換えお寺のことや家族それぞれのことを考えてみると、いたたまれない気持になってくる。もし私のことであったならば、妻は息子はどうするのであろうかと思うと、すぐに答えが返ってこないだけに辛いものがある。
 でも、ひとりの人が命を終えられるという厳しい現実は、有無をいわせず私どもに襲いかかってくる。お年寄りであろうと、若い人であろうと、自分と同世代の人であろうと、亡くなられたという現実に寸分の違いがないのである。少なくとも私たち僧侶にとっては、区別をしてはならないことである。
 生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんと、大きな会社を創業されて盛大な葬儀をおこなわれた社長さんと、社会的な業績は違うがその命の重さはまったく同じである。少なくとも宗教家といわれる者は、ひとつの命に対して謙虚にならなければならないであろう。

 毎日多くの人が生まれ、多くの人が亡くなっていくという時間の流れのなかに、私たちは生きているのである。そして、誰もがこの流れに逆らうことはできない。それならば我が人生は、『方丈記』で鴨長明がいう「よどみに浮かぶに泡沫 ( うたかた ) 」であろうか。いつとなくできて、いつとなく消えていくのであろうか。世の無常を悟るべきなのであろうか。

 自然界は無限の事象によって成り立っている。川はまっすぐに流れるのではなく、蛇行するなかに「よどみ」があり、急流があるのである。たとえ泡沫 ( うたかた ) といえども、自然界の大切な構成員であって、自然界には何一つとして不要なものはなく、すべてがあってこそ自然界が成立するのである。

 私たちも自然界の大切な一員であるが、命あるという形においては、長短があるという厳しい現実をしばしば突きつけられる。若くして亡くなっていく人を現前にして、何を考えるべきなのであろうか。そう簡単には答えは見つからない。ただ今「自分は生きている」ということを考えるべきである。そして、それは当然その生き方が問われてくることは、言うまでもないことである。
 命あるということは、常に、いや時々刻々「自分の生き方」を問うことであろう。無論、自分の人生であるだけに、時には悩むほど考えることもあるが、そう簡単に結論が出てくるものではない。まずはその命を大切にすることであるとは誰にでもわかることであろう。その方法となるとまた困ってしまうのであるが、今日一日を大切にすることから始める。私には法然上人というすばらしき先達がおられることを思うと、元気が出るのである。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


法然上人



 

墓地清掃

 恒例となりました、お盆の墓地清掃をおこないます。檀信徒総出でのお掃除の機会でもあり、また、「そうめん流し」も用意いたしておりますので、ご家族とともにご参加いただけますようお願い申し上げます。

日   時
7月4日(日) 9時より(雨天決行)

 

7月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。6月下旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
7月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
7月13日10時、13時いずれかに本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 

お盆灯籠流しの販売

 7月16日、三島市仏教会主催の「灯籠流し」が水泉園(白滝公園)でおこなわれます。7月3日より、灯籠を販売いたします。

 

第290回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
7月23日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
願成寺住職 魚尾 孝久 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
8月20日(金) 同時刻  常林寺住職 山田 太壱 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

本メールマガジンがご不要な方は、
下記URLから配信を解除できます。


http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)