願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、8月2日です。



この中の名前を

 前の2回で家族葬、直葬といった簡略化された葬儀について書かせていただきました。前に述べたことを改めてまとめてみると、こういった形態の葬儀は一概に否定はできませんが、そうした場合には、遺された方々、特に立ち会うことのできなかった方々のお気持ちにどう対処するか、という重たい問題が残っているということです。

 簡単に結論の出る問題ではありませんし、それぞれのご家庭の事情によってまったく状況は違ってきます。ただ結局は「自分は自分ひとりの力で生きてきたわけではない」ということを、どのように受け止めるかに尽きると言ってよいでしょう。
 いかなる結論になるにせよ、是非こういった側面も真剣に考えていただきたいと思います。本来は当たり前のことですが、葬儀をめぐる最近の議論のなかでは置き去られているように感じます。

 さて、次は何かと話題になる「戒名料」についてです。でも、その前にまず「戒名」についてしっかりと説明したいと思います。
 戒名料に関しては完全な誤解から始まっていると思っています。何故なら本来は戒名料などという言葉はなかったからです。それなのにまるで当然のことのように、言葉だけがひとり歩きをしてしまっています。そもそも戒名とは何なのか、皆さんご存知ですか?

 どんな宗教でもその宗教の信者になります、という儀式を行うと、しきたりに則って信者としての名前をつけてもらいます。たとえばキリスト教ならばクリスチャン・ネームといって、戸籍上の名前とは違う「ヤコブ」とか、「パウロ」とかのお名前をいただきます。

 同じように「戒名」とは、仏の教えに帰依した証しとして付けるお名前のことです。「戒名」とよぶのは仏教徒になるときには、必ず仏教の「戒」つまり生活上の決めごとを守るという誓いをたてるからです。ちなみに一般の信者さんの守るべき戒は、おおもとは5つですが、中身は「殺すな」「盗むな」といった非常に基本的なことです。

 ですから、戒名は本来ならば生前につくもの、というよりも仏教の信者になった時につくのであって、亡くなった方につける名前ではありません。
 ところが今は、戒名とは亡くなってからつけるもの、仏式の葬儀をするからつけるもの、と考えておられる方がほとんどだと思います。これが最初の誤解です。

 私たち僧侶は当然ながら戒名を授かっていますが、一般の信者さんでも生前に戒名を授かっている方もおいでになります。そして、その戒名は僧侶もそうでない方も等しく2文字だけです。戒名は2文字だけ、と申し上げると大体びっくりされるのですが、これは大昔からきまっていることなのです。

 では、世間でやれ院号がどうしたこうした、といっているのは何なのかということですが、実は戒名を含めた全体のことを本来「法号」とよびます。一つ一つの箇所にそれぞれの意味があり、どの部分がつくのか、ということはお一人お一人で違います。ご先祖以来のお寺との関係、ご本人とお寺との関係、生前の信仰の持ち方、などによって決まってくるのです。この法号全体のことが、一般には「戒名」と思われているのです。これが2番目の誤解です。

 仏教に帰依したいという方に、戒を授けて信徒さんとして導いていくことは、僧侶の本来の責務です。ですから、入信した証しとして戒名を授かること自体に、特別の費用がかかる筈はありません。戒名を授かる法要にお布施を包む、ということはありますが、これとて通常の年忌法要でもご祈祷でも同じことですから、特別のことではありません。だから、戒名を受けることそのものに、費用がかかるわけではありません。

 ただし、伝統的な日本の文化では師匠より名乗りを許される、名前をつけていただくという場合、お礼をするという習慣があります。
 茶道でも華道でもある程度お稽古が進み、師匠から流儀にそったお名前をいただくときには、相応のお礼をすることは現代にも引き継がれています。まして生活の一部ではなく、生きる基本としての宗教ならば、お礼をするのは当然と考える。それが伝統的な日本の礼儀感覚です。

 従って、費用は発生しなくても謝礼を準備する、ということは以前からあったのです。けれども、それは寺院の側からの要求ではなく、礼儀としての行動でした。これが現代では理解されなくなってしまい、昔からお寺は戒名料を要求していたと思われています。3番目の誤解です。

 いつからこういった誤解が常識と思われるようになったのか、現代ではどのように意味が変わったのか、次回以降続けて考えていきたいと思います。

 浄安寺住職  八 幡 正 晃



 仕事上、切手の使用量は多い方であろうか。おおかた郵便局で百枚単位で購入する。
時として80円切手を切らしてしまい、コンビニで買うことになった。大学生のアルバイトであろうか、80円切手10枚を用意してくれた。店員の手元を見て、息を飲み込んだ。まず100枚の切手シートに横折に折り目を付けた。私は「えぇー」と、声が出そうになる。切手は縦に切り分けるのが普通であろう。次の動作には , 点になった眼が、ミクロの点となった。彼女はハサミを取り出し、切手の切れ目を器用に切り出したのである。確かに若い人は眼も良いし、手先も器用に動くであろうが、案の定、わずかであるが真っ直ぐには切れていない。10枚の切手を横で取り、ハサミで切ることに問題がある。コンビニにはすべてお客さま対応マニュアルがあるはずであるが、切手に対するマニュアルはないのであろう。

 コピーの調子が良くない。一般の紙は問題がないが、紙が厚いためであろうかハガキのコピーがうまくいかない。修理を依頼すると、テストに何枚のハガキが利用された。驚くことに、スタンプを押す部分もコピーされているのである。未使用のハガキは、「書き損じハガキ」として、5円の手数料がかかるものの、新しいハガキと交換ができることを知らないのである。事の次第を伝えると、書き損じハガキが交換できることを知らなかったサービスマンは、眼が点になった。

 昨今、大学ではレポートがメールによって提出されることも多くなった。やはりそのメールの書き方に問題がある。メール発信者が記号や愛称であり、件名は名前だけ、ひどいものになると記入がないメールが次々と送られてくる。手紙で言うならば、差出人の蘭に「mokomoko5524」「ミ−コ」と書かれていることになる。レポートの提出も、友達の携帯メールも同じ扱いである。

 当事者は、何も気づいてはいない。強く指摘すると、年寄りはうるさいという。よし、口うるさい住職になるぞ!いや、すでに充分に口うるさい住職であるといわれるであろうが、主張すべきははっきりと主張しよう。若干ではあるが、耳を傾けてくれる人もいるのだから。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


コンビニの切手



 

第290回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
7月23日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
願成寺住職 魚尾 孝久 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
8月20日(金) 同時刻  常林寺住職 山田 太壱 師

 

8月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。8月上旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
8月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
8月13日11時、本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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