前回「戒名」に関しては誤解があります、ということを述べました。その誤解とは
1、戒名とは亡くなったから、つけるものという思いこみ。
2、色々な意味合いのある法号全体のことが、戒名と思われている
こと。
3、そしてその法号の長さに応じて寺院の側が料金を要求すると思
われていること。
これをまとめるならば、人が亡くなるとお寺が意味のわからない名前(戒名)を付けて、その長さに応じてお金を要求してくる、となり、世間でいう「戒名料」というもののイメージそのものだと思います。
前回の繰り返しになりますが、本来は戒名料などという言葉はなかったのです。それがいまや完全に定着してしまいました。戒名料という言葉がいつごろ発生して、いつごろから定着したのか、これははっきりとはわかりません。
私の子供時分には、大人たちがお寺に対して金銭的な不満をもらすときには、「お布施が高い」「何かと寄付をとる」といっていたように思います。
昭和50年頃の東京都心の家庭で、この場合の大人たちは大正期の生まれの人間たちです。地方の出身で自身の兄弟や叔父叔母などが、まだ地元に健在であるといった、当時のごく一般的な家庭でしょう。
ですから、「戒名料」という言葉があったにしても、私の周囲では使われていた記憶がありません。おそらくは、お寺との関わりの薄いご家庭から、そういった地域から、徐々に広がった言葉だと思います。
そして、あまり良くない印象とともに、全国の津々浦々まで広がったのは、いわゆるバブルの時代だったと思います。これ以降は現在につながる使われ方になった、と覚えています。
例外はありますが戒名料という言葉は、「お布施」ということの意味がわからなくなるにつれて、広まっていった、というのが実感です。だから今でも、決して戒名料という言葉を使わないお寺は、少なくありません。あくまで「お布施」の一種だからです。
繰り返しになりますが、本来戒名料というものはありません。戒名及び法号というものは、売っているものではありません。だから、「○○円出すから」何文字になるというものではありません。
ではどのように決まるのでしょうか。
それは生前にお寺と、あるいは仏教と、どのように関わってきたかということによって決まります。わずらわしくなるので、ここでは「○○院」という院号や、「○誉」といった誉号(浄土宗独特のもの)の一々の由来は書きません。
しかし、こういった部分こそ、生前の関わりによって決まってくるのです。
おおまかに割り切ってしまえば、これらは別に必要の無い部分です。だからこそ、それの付いている方は、それなりのことをなさった方だということがわかるのです。
例えばもともと院号とは、お寺がその方に対して、感謝の念をあらわすためにお授けしました。
台風で壊れた本堂の修復をしてくださったとか、50年間お寺の世話役を務めたとか、お寺に多大な貢献をされた方にお授けしたのです。だから、ご葬儀のときに、同じお布施を包まれても法号が違ってくる。それで当然なのです。その方の一生の中での、お寺との関わり全てがそこに影響するのですから。
それが・・・
バブルのころに、順序が逆転することが出てきます。お寺に貢献したから、結果として法号が長くなる。こういう手順ではなく、「長い法号(戒名)が欲しいから」お寺に貢献する。といっても、時間のかかることは不可能だから、「金銭面で貢献する」。具体的には、死の直前、あるいは葬儀の時に多額のお布施をするのです。
確かに金銭的なことであっても貢献には変わりありません。ただし寺院には、長い歴史の中で培われてきた、振り合い、というものがあります。制度内部のバランス、と言っても良いでしょう。
長い戒名が欲しい、ついては金銭で貢献する。こういった申し入れに当初は寺院側も困って、およそ無理、非常識と思える様な金額を回答する。(私の知っている寺院でどうしても院号が欲しい、いくらなら良いのかとしつこく聞かれて、「1億円」と回答した寺院があります。さすがにあきらめたそうです)つまりは婉曲な拒否だったものが、実際にお布施する方が出てきたのです。
高額な戒名料すなわち長いお戒名、という感覚の元はここにあります。次回は何故にその感覚が定着してしまったのか、それを考えてみたいと思います。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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