願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、10月15日です。




わたしの「欲」

 佛教ばかりでなく、おおよそあらゆる宗教がいわゆる「欲」というものを否定しているであろう。ちなみに広辞苑で欲のつく言葉を探してみる。
   「欲と相談」「欲と二人づれ」「欲に転ぶ」「欲に目が眩む」
   「欲の皮が突っ張る」「欲の皮が張る」「欲の熊鷹股を裂く」
   「欲太り」「欲望という名の電車」「欲も得もない」「欲求不満」
「欲の熊鷹股を裂く」など、右足で一頭の猪をつかみ、左足でももう一頭の猪をつかんだ熊鷹であるが、猪が左右に逃げてもその足を放すことがなかったため、股が裂けたという話で、「欲」こそ慎まなければならないことを物語っている。

 しかし、「欲」はそれほど悪者であろうか。「一番になりたい」という欲はとても大切である。アスリートは常に一番を目指して血の出るような努力をしている。北島康介、宮里藍、石川遼を誰が非難するであろうか、むしろ応援するに違いない。
 家族のために一生懸命働き少しでも多く稼ぎたいという気持、ベンチャー事業に挑戦して社長になりたい、頑張って一流大学に入りたい、すてきなあの人と結婚してすてきな家庭を持ちたい、どれもある意味では「欲」と隣り合わせであるが、だれが否定するであろうか。むしろ「頑張れ」とエールを送ってくれるかも知れない。「欲」こそあらゆることの原動力ともいえよう。

 ところで人間にとって「三大欲」というものがある。「睡眠欲」「食欲」「性欲」であり、人間が生き物として存在し続けていくためには不可欠なものである。どの欲一つがかけても人間の存在を危うくするもので、「欲」こそあらゆる生物が生きながらえていくように必要不可欠なものである。そのように遺伝子に刷り込められているといってもよいのであろう。

 ところが人間は知能があるためか、この「欲」すら時には楽しみや快楽としていくのである。私などは「春眠暁を覚えず」とばかりに、春ばかりでなく惰眠を貪る。アヒルに高カロリーの飼料を与えて脂肪肝を作らせ、フォアグラを楽しむなどは食欲を弄(もてあそ)んでいるともいえよう。「性欲」すら繁殖以外にも利用するのである。他の生き物にはないことである。
 百獣の王ライオンは、必要以上の狩をすることはなく、その時に生命を維持するのに必要な狩をするだけであり、ましてやあれやこれと美食に走ることはない。また、おおかたの生き物は年に一度決まったときに繁殖をする。あとはエネルギーを温存するためにひたすら眠るだけであるのに。

 やはり「欲」は「諸刃の剣」であろうか。こうした「欲」について、仏教では「少欲知足」と説く。「欲少なくして、足るを知る」ことで、少しの欲で満足することを求めている。多欲であるからこそ苦が生ずるのである。
 物質社会では、「少欲」こそ大切なのである。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久








 季節の変わり目、体調はいかがでしょうか。今月は9月上旬に訪れた、京都の寺院について書きたいと思います。

 京都にはたくさんの寺院がありますが、有名ではなくても興味深い寺院が多くあります。そんな寺院の中でも、今回は六道珍皇寺を取り上げたいと思います。まず、この寺院の名前が読めるでしょうか?これは「ろくどうちんのうじ」と読みます。この六道珍皇寺は建仁寺の塔頭寺院で、毎年8月7日から10日までの4日間は「六道まいり」がおこなわれて、先祖の精霊をこの世に呼び戻す「迎え鐘」を撞く参拝者で賑わう寺院です。

 では、なぜ「六道まいり」で六道珍皇寺に参拝に行くのでしょうか。2つ仮説が考ええられます。まず、この六道珍皇寺のある所は、死者を埋葬する鳥辺野という所へ葬送する時の「野辺送りの場所」で、「六道の辻」と呼ばれて、「あの世とこの世の境」と言われていました。野辺送りとは、死体を火葬場や埋葬場所まで、葬列を組んで見送る風習のことで、今日では、親族や関係者がバスなどに乗り、霊柩車に従って火葬場へ行くことにあたります。つまり、あの世とこの世の境に迎えに行くというところから、「六道まいり」が六道珍皇寺に参拝しにいくと考えられます。
 また、嵯峨天皇と閻魔大王に仕えたといわれる、小野篁(おののたかむら)という平安時代の官僚が、地獄にいる閻魔大王の所に行くための井戸があるからとも考えられます。
 この小野篁は、一度隠岐に流罪になり、その時に詠んだ歌が百人一首にも収録されています。「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」他にも勅撰和歌集に数首が入首するなどと、詩人としても優秀な人でした。

 今でこそ、人間は地獄をあまり信じることなく生きていますが、平安時代は地獄を信じて生きていた時代でした。地獄を信じるからこそ、日々のおこない、信仰などを深く考えた時代であったとも言えます。様々な宗教にそれぞれ地獄という思想がありますが、それぞれを鵜呑みにするわけではなくとも、地獄という存在を頭の片隅において、日々の内省や、信仰の大切さなどを感じて生きていくことが大切だと思います。
 信仰は一つの拠り所です。拠り所があるということは、決して恥ずかしいことではないと思っています。信仰を拠り所として、辛い時、怠惰な自分に気づいた時に、壁を乗り越えたり、正しい生き方に直ったりとしていけることがなによりだと思います。私も僧侶として、信仰を拠り所として日々精進して生きていきたいものです。

 天主君山現受院願成寺副住職
 魚 尾 和 瑛


六道珍皇寺









第293回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月15日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
教福寺住職 上田 文雄 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月19日(金) 同時刻  西福寺住職 矢弓 尚善 師




お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







本メールマガジンがご不要な方は、
下記URLから配信を解除できます。


http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)