「葬式不要論」についての考察は今回が最後となります。ここまで戒名料の話からさかのぼって、前回、「先祖代々の菩提寺が消滅しても良いのか」という根源的な問題までたどり着きました。
もう少し付け加えるならば、「自分の死後、供養してもらわなくても良いのか」という問題もあります。こちらはいろいろな調査結果が出ていますが、死後の供養は全く必要ない、という方は大体1割程度です。ということはお墓が霊園にあったり、合祀墓や個人墓であったり、あるいは散骨を希望する方であっても、何らかの形で供養してもらいたいと思っている方が、大多数だということです。
ここまでの6回分の論旨を踏まえた上で考えてみると、従来のような自分で意味のわからないことは希望しない。経済的にも、寺院の檀家として負担を分担することは回避したい。また、供養といっても必ずしも宗教的行事という形態である必要もない。というふうに要約できるかと思います。
このような感覚が、特に都市部で急速に拡大している実態からすると、現在ある寺院を今後すべて維持していくことは、寺院の経済的な観点からして不可能である、という結論になります。
前回も申し上げましたが、でも、だからなくなっても仕方ないではなく、どうやったら維持できるのかを考えたいのです。
ご供養に宗教者は不必要と考える方には、維持する必要は無いじゃないかという方もいると思います。しかし、それぞれの寺院が創建されて以来、現在までの長い時間担い続けてきた人々の想いというものは、今でも残されているのです。
極端な例を挙げれば、京都の金閣寺や銀閣寺、清水寺や醍醐寺。奈良の東大寺や興福寺、法隆寺、薬師寺。大阪の四天王寺、福井の永平寺、宇治の平等院。長野の善光寺、東京の浅草寺、平泉の中尊寺。
これらの、日本人なら誰もが知っている名刹も、それぞれに創った方の想いがあり、お参りされてきた方々の思いがあり、それぞれの寺院をお守りしてきた方々の憶いがあるのです。
こういった寺院全てが消え失せた日本を想像できますか?どんなにか貧しい風景でしょう。歴史も文化も自分から捨ててしまった、抜け殻だけが残るのでしょう。
このような名刹でなくても、人の思いがのこっていることは同じです。だからその思いを守る形を探していかなければなりません。
例えば、過疎地域では中核的な寺院を残して、後の寺院は縮小し中核寺院へ吸収していく。現実にもそういった地域では、10ヶ寺近く住職を兼務する方もおいでになり、既にそれに近い形になっています。これをもう一歩進めて、不要な建造物を撤去し、御本尊を守る本堂だけを集落の施設として活用してもらいながら、維持をお任せする。ついては各宗門から費用を提供する。
反対に都市部では墓地のない寺院というか、布教所というか、そのような場所を増設し、檀家さんへの対応がない分、地域社会での貢献を目指す。そのために、そういった寺院の住職には、何か1つ、特殊な専門技能を持つ人間を配置する。
例えばカウンセラー、作業療法士といった医療系の資格や、社会教育主事や学芸員といった生涯学習系の資格など、様々な可能性があると思います。
そして一番大切なことは、僧侶が寺の世界以外へ出て活動することだと思っています。元来、江戸明治はもちろん、大正時代くらいまでは僧侶と一般世間はもっと密接な関係だったのですから。
先日、鎌倉にある大本山光明寺の、約500年にわたって続く伝統の「お十夜」に出仕して参りました。こちらは一種のお祭りとしても有名で、参道にもその外の公道にもびっしりと露店が出ます。法要に興味はなく、単なる縁日としてきている子供たちもたくさんいました。
近くの寺院から導師の練り行列が出発し、光明寺の参道に入ってきても皆さん熱心に商売を続けていて、衣に焼きそばのソースでもはねたらどうしようかと、そう思うほど物理的にも距離が近いのです。
ここまで近くとは申しませんが、特定の日、特定の場所だけでなく、お寺に親しみを感じてもらえれば、きっと状況は変わってくると信じています。
仏教の公伝以来、およそ1500年。いくつもの時代を乗り越えて みほとけの教えは護られてきたのですから。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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