願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、1月5日です。




河野裕子氏


河野裕子歌集

 いささか旧聞に属しますが、今年の8月12日に歌人の河野裕子(かわの ゆうこ)さんが64才で亡くなられました。その訃報を新聞の特集記事で読んだとき、歌詠みの魂に圧倒されたものです。
 先般、その最後の日々の様子が娘さんの永田 紅さん(この方も歌人です)によって、雑誌『文藝春秋』の11月号に掲載され、改めて感じることもあり、今回取り上げさせていただきました。
 永田さんの文章を一部分引用します。

 

  在宅看護に入ってひと月あまり。もはや抗癌剤は使えない段階で、
 点滴やモルヒネによる緩和ケアを受けていた。亡くなる二日ほど前か
 ら「しんどい、しんどい」と発作的に苦しむことが始まり、少し落ち着く
 と「このくらいで死ねるのなら」と言っていたものが、ほどなく「助け
 て、死なせて」と訴えるようになった。
 (中略)亡くなる前の日、苦しみの波が静まったあとで、母は「あなた
 らの気持ちがこんなに・・・・・」と、やっと聞き取れるほどの小さな声で
 話し始めた。何を言おうとしているのかと耳をすませる。父が、あっ、
 と気づく。歌なのである。「こんなにわかるのに」。父が原稿用紙にペ
 ンを走らせる。

 あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
                                     河野裕子

 (中略)一首が出来ると、次々に歌が続いた。

 さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

  本当にこの世は、「さみしくてあたたかい」。「あたたかくてさみしい」
  でなかったことが家族にとって慰めである。 (中略)そして

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

 が母の最後の歌になった。

 

 「息が足りないこの世の息が」すごい言葉です。その一言で彼女がどんな思いだったかが伝わってきます。

 暮れになると毎年自ら死を選ぶ方が増えてきます。それぞれのご事情もあるでしょうし、ひとからげにして論じることにはためらいもあります。
 しかし、こんなにも生きたいと思いつつ、なお逝かねばならない方もいる。だからそういう方に、今一度、思い起こして欲しいのです。
 「生きていられることは」「とても有り難い」ことだということを。

 河野さんはもっと生きていたかった。いとしい人々と過ごしていたかった。けれども逝かねばならなかった。
 あなたにも忘れていけない人々、あなたを決して忘れない人々がいることでしょう。だからこそ、今、生きている、生きていられる、生かされていることを大切にして欲しい。今年の終わりにあたり、痛切に感じています。

 生きてゆく とことんまでを 生き抜いて それから先は 君に任せる
                                     河野裕子

 浄安寺住職  八 幡 正 晃








 東京を出た新幹線が三島に近くになると、富士山が見えてくる。四季折々に姿を変えた風景に、時として感嘆の声が漏れる。車窓の景色とは、通勤であっても時として楽しいものである。湯河原付近を通過すると、色付き始めた蜜柑の木に爽やかな冬の訪れを感ずる。どんより曇った空は相模湾と一体になって、冬の到来を告げる。三島と東京を往復するごとに車窓の景色を追うわけではないが、季節の変化を味合わせてくれ、通勤の清涼剤ともなるのである。

 ところで、先日携帯電話関係の会社から、願成寺の敷地内に携帯電話用のアンテナを立てさせてほしいという。本堂から200m以上離れたところで、景観上も問題がない。一社からの依頼であるが、寺のある川原ケ谷地区、隣接の加茂川町および大宮町地区の携帯電話の通話状態がよくなるという。何よりもお檀家さんの半数近くに改善が期待できるというのである。携帯電話という公共性の高い依頼なので、周辺住民や地権者の賛同が得られるならば問題がなかろうと考えている。

 依頼があって3ケ月になるであろうか。私の車窓の景色は一変してしまった。目を皿のようにしてとは言わないが、電車に乗ると携帯電話のアンテナ探しである。もう季節感あふれる景色は目に入ってこない。
 あるわ!あるわ!郊外には大きな鉄塔が、街中は大きなビルばかりでなく5階建て程度のビルにも携帯のアンテナが立っている。街中がアンテナだらけであるといってよい。まだdocomo、au、Softbankそれぞれの区別はつかないが、種類とサイズの多さに驚く。
 今までは携帯電話のアンテナなど気にも留めたことがなく、ただ携帯がつながるか、つながらないかの関心でしかなかった。そういえばいつ頃からであろうか、新幹線がトンネルに入っても携帯電話が切れなくなっていた。

 情報社会といわれる現代、あふれる情報が飛び交っているので、何かに関心を持つと無限の情報を得ることのできる時代である。
 そこで「わが法然上人」に関心を持っていただけたらと、切にお願い申し上げる次第である。学ぶことがたくさんあることは、確かである。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


アンテナと富士山


アンテナ最上部









第295回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
12月17日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
大泉寺副住職 小島 健布 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
1月21日(金) 同時刻  講師 未定

 

修正会(新年会)のお知らせ

 恒例の新年の初参り、護持会総会、新年会を開催いたします。ご申込は、暮れのお参りの折、またお電話にて前日までにお願いいたします。

日   時
1月4日(火) 11時より
内   容
初参り、護持会総会、福引き、会食
会   費
2,000円
申 込 み
暮れのお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 



お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







本メールマガジンがご不要な方は、
下記URLから配信を解除できます。


http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)