いささか旧聞に属しますが、今年の8月12日に歌人の河野裕子(かわの ゆうこ)さんが64才で亡くなられました。その訃報を新聞の特集記事で読んだとき、歌詠みの魂に圧倒されたものです。
先般、その最後の日々の様子が娘さんの永田 紅さん(この方も歌人です)によって、雑誌『文藝春秋』の11月号に掲載され、改めて感じることもあり、今回取り上げさせていただきました。
永田さんの文章を一部分引用します。
在宅看護に入ってひと月あまり。もはや抗癌剤は使えない段階で、
点滴やモルヒネによる緩和ケアを受けていた。亡くなる二日ほど前か
ら「しんどい、しんどい」と発作的に苦しむことが始まり、少し落ち着く
と「このくらいで死ねるのなら」と言っていたものが、ほどなく「助け
て、死なせて」と訴えるようになった。
(中略)亡くなる前の日、苦しみの波が静まったあとで、母は「あなた
らの気持ちがこんなに・・・・・」と、やっと聞き取れるほどの小さな声で
話し始めた。何を言おうとしているのかと耳をすませる。父が、あっ、
と気づく。歌なのである。「こんなにわかるのに」。父が原稿用紙にペ
ンを走らせる。
あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
河野裕子
(中略)一首が出来ると、次々に歌が続いた。
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
本当にこの世は、「さみしくてあたたかい」。「あたたかくてさみしい」
でなかったことが家族にとって慰めである。 (中略)そして
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
が母の最後の歌になった。
「息が足りないこの世の息が」すごい言葉です。その一言で彼女がどんな思いだったかが伝わってきます。
暮れになると毎年自ら死を選ぶ方が増えてきます。それぞれのご事情もあるでしょうし、ひとからげにして論じることにはためらいもあります。
しかし、こんなにも生きたいと思いつつ、なお逝かねばならない方もいる。だからそういう方に、今一度、思い起こして欲しいのです。
「生きていられることは」「とても有り難い」ことだということを。
河野さんはもっと生きていたかった。いとしい人々と過ごしていたかった。けれども逝かねばならなかった。
あなたにも忘れていけない人々、あなたを決して忘れない人々がいることでしょう。だからこそ、今、生きている、生きていられる、生かされていることを大切にして欲しい。今年の終わりにあたり、痛切に感じています。
生きてゆく とことんまでを 生き抜いて それから先は 君に任せる
河野裕子
浄安寺住職 八 幡 正 晃
|