浄安寺の中庭に1本の柿の木があります。あまり大きくはないのですが、日当たりのせいか成りが良く、かなり沢山の実を付けます。少し渋いので、出来るだけ遅くまで生ったままにしておき、柔らかくなる直前に実をもぎます。
そうすると、生っている位置の関係で先に完熟する実もあり、そういった実は野鳥の餌になっているので、もがずに残しておきます。ですが、中にはもいでみてから鳥のついばんだ痕を見つけることもあり、そういった実を庭の一角に固めて置くと、いつのまにか綺麗に食べてあります。
特別に野鳥を可愛がっているわけではないのですが、そんなこともあり、傷んでしまったみかんですとか、時折果物の類を庭に出しておくことがあるのです。
この冬のある朝、連れ合いが雨戸を繰っていると、一羽の鳥と正面から目が合ったそうです。興味がないので、私は野鳥の種類などは良く判りません。しかし連れ合いは昔から鳥好きなので、すぐに判ったらしく「庭にツグミが来ている」と言って来ました。
なんでも、ツグミという鳥は遙々とシベリアからやってくる渡り鳥なのだそうです。そんな鳥が自坊の庭に来ていたことには、全く気づいておりませんでした。
これがかなりユーモラスというか、少しとろいというか、よくこれで何千キロもの渡りができると思わせるような鳥で、毎朝ちょっとした話題になります。
どこか1箇所でも雨戸が開くと普通の野鳥は逃げていきますが、ツグミは自分の正面の雨戸が開くまで逃げない。というより印象としては「気がついていない」のだそうです。自分の真正面に人間の姿を見つけてから驚いて、逃げる前にまず、「うろたえる」。
本当にこれで自然界で生きていけるのかと、首をひねりたくなるような反応です。やはりというか同じ野鳥の仲間内でも立場が弱いらしく、せっかく先に餌を見つけても、後からやって来たヒヨドリに追い出されています。
ヒヨドリは一年通して見かける鳥で、体もツグミよりかなり小さいのですが、餌の取り合いになると100パーセント、ツグミが負けます。というより一方的に追い払われています。
そうかと思うと既に餌もなくなった日中、つまり野良猫などの目に立つ時間にやってきて、庭でくつろぐというかボーとしていることもあります。つぐみの体色は茶褐色で、低木の茂みなどでは保護色でしょうが、浄安寺の庭は砂利敷きなのでものすごく目立ちます。
そんなツグミだけど、というよりもそんなツグミだから、かえって楽しませてもらっています。
よく知っている筈の狭い寺の庭に、そんなに楽しいお客さんが来ていることを知らなかった。「わかっているつもり」「知っているつもり」ということが、如何に当てにならないか、少し間抜けなツグミから改めて教えられました。
浄安寺住職 八 幡 正 晃
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