東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた皆さまに、あらためまして哀悼の誠をささげます。 また被災をされました皆さまには、心よりお見舞い申しあげます。
連日、被災された地域の映像を見ておりますと、自然と涙が頬を伝わります。加齢とともに涙腺がゆるんできたのではなく、あまりにも悲惨な状況にただ涙するばかりなのかもしれません。親を妻を我が子を失い、跡形もない我が家を目の前にしている人々のお気持ちを我が身に置き換えますと、居たたまれなくなってしまいます。
浄土宗からの緊急救援物資として要請のありました毛布を送り、節電をして、寺として義援金を用意いたし、お檀家の皆さんにも義援金をお願いいたしました。私はこれでよいのかと自問自答するのですが、なにか「もどかしさ」ばかりがつのってまいります。他に何かするべきことがあるのではないかと思われるのですが、本務をさしおいて闇雲に右往左往すればよいわけではないことはわかるのですが。
そして福島第一原子力発電所の事故の深刻な事態に、われわれはなす術(すべ)を持ちません。連日の報道を見ますと、原子力について知識を持たない者にとっては不安だけが増幅するのです。各テレビ局も事態の説明が十分ではないように思われるのは、報道している側にも十分な理解がないからであろう。菅直人首相が東日本大震災発生翌日に福島第一原発視察で「原子力について少し勉強したい」と述べたといわれているのが象徴的であろう。不安そうな首相の顔が、ますます国民の不安を増幅しているようにも思われてならない。
基本的なことであるが、正しい情報の公開が求められることはいうまでもないことである。官邸、原子力保安院、東京電力が協力して対処しているというが、どこが指揮権を持っているのであろうか。協力とは聞こえはよいですが、責任の擦り合いが見て取れます。[自衛隊が放水」「東京消防庁が放水」と報道されますが、自衛隊や東京消防庁の判断で行っているのではなく、しかるべき指揮権下での行動であるのですが、それが明確にされていません。官邸から市町村を経て避難所までの指揮系統を明確にすることが安心へと繋がっていくのではないでしょうか。
地震や津波の被害に何もできず、原発事故にただ不安ばかりを募らせるばかりで、フラストレーションが頭を擡(もた)げてきます。
○地震、大津波、原発事故、すべてを「想像を絶する」「未曾有」「想
定外」と評するが、それで片づけられてはたまらない。元防衛大臣
石破氏が個人的見解と前置きをしたうえで、UFOが領空侵犯したら
という質問に、未確認飛行物体操る生命体が存在しないと断定しう
る根拠はないかぎり、日本国の領空に飛来した場合の対処と法整
備の必要性を説いた話は有名である。
やはり、あらゆる事態の想定を求めるべきではなかろうか。想定
外、というならばだれでも政治家、官僚、社長を務めることができ
よう。
○原発の事故、報道する者が解説する者が原発の構造や放射能
について十分に理解していないので、今ひとつ正確に伝わってこな
い。風評被害の根源は報道にも。「原発」と「原爆」、「被曝」と「被爆」
の混同などもってのほかである。
○震災直後、各テレビ局が取材という名のもとにヘリコプターを飛
ばし、現地にレポーターを派遣している。こういう時こそ報道協定を
結び、一つの報道を一つの局が報ずればよいのではなかろうか。
月曜は4チャンネル、火曜は6チャンネル、水曜は10チャンネルとい
うぐあいに。
時間がたつと、犠牲者をカメラの前で泣かせ、災害ワイドショー化
しているのには憤りを感ずる。
○挙げ句の果ては、一流といわれる雑誌は、その表紙に毒ガスマ
スクを写し、「放射能がくる」と不安を煽(あお)る。言語道断である。
次号で編集長は「原発事故の深刻さを伝える意図」と説明し、不快
を与えたならばお詫びするという。意図したわけではないが、拙(ま
ず)ければ謝るという手法は、本来の報道のあり方ではない。
野田秀樹氏が、その雑誌への連載を中止したことは、救いであ
る。
○マーケットに行った。原発事故後であるので、葉物野菜を買わず
にもやしを買った。静岡産のホウレン草に罪はないが、他の選択肢
があり、何よりも食品は気分も大切である。葉物を買わなかった私
は風評に踊らされているのでしょうか。
○トイレットペーパーが残り少なくなった。ほとんどのマーケットに
品物がない。買い占めはいけないというが、生活必需品が手に入ら
なかったらどうしようと思った。
次の店で2パック買ってしまった。やはり私は風評に踊らされてい
るのでしょうか。
改めて、亡くなられた方のご冥福を、被災された方のお見舞いを申しあげます。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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