東日本大地震によって亡くなられた方、行方不明の方、大津波による破壊、福島第一原子力発電所の放射の漏れと、凄(すさ)まじいまでの現実にただただ呆然とするばかりである。そして震度6にいたる余震、収束の見えない原発事故は、東北の人々は無論こと、世界にいたる人々までを不安に落とし入れていることは明確である。
こうしたとき、宗教は何をすることができるのであろうか。無論、仏教の力で放射能漏れを止めることはできないし、復興のための重機を有するわけでもない。ただ、亡くなられた方のご冥福を祈ることであろうか。こうしたなかで、仏教そして浄土宗はどのように考えるのであろうか。何をすることができるのであろうか。いや、何をすべきであろうか。
浄土宗は21世紀を迎え、『浄土宗21世紀劈頭(へきとう)宣言』として、法然上人の心を次のごとく世界に発信している。
愚者の自覚を
家庭にみ仏の光を
社会に慈しみを
世界に共生(ともいき)を
今こそ、震災にあわれた方と我々との「共生(ともいき)」が求められているのではなかろうか。それでは浄土宗のとなえる「共生(ともいき)」とは、どのようなことであろう。宗のホームページから引用してみよう。
仏教の根本思想は「縁起(えんぎ)」である。縁起とは、すべての
「いのち」はひとつに結ばれ、共に生かし、生かされることである。
「願共諸衆生往生安楽国」を願った中国唐の善導大師(ぜんどうだ
いし)を師と仰いだ法然上人の心こそ、縁起の思想をふまえた「共生
(ともいき)」である。
この「共生(ともいき)」の教えこそ、21世紀の指針となろう。
原発の事故で避難を強いられている人々の発言に、「東京の電気のために、何ゆえ私らがこんな目に遭わされるのか」、また東京の人は、「少なくとも当該自治体の同意があって建設されたし、多額の交付税や雇用の恩恵に与っているではないか」とある。もうこうなると単なる感情論の何物でもない。
今こそ、法然上人の提唱される「共生(ともいき)」の実践が求められているのではなかろうか。まずは、自分の問題として受け止めていくことであろう。そしてささやかなことであっても、できることから実践をしていくことが大切である。
自然の脅威と人間の愚かさの自覚が出発点である。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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