願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、5月2日です。




国内開教使・桂林寺住職 永田 英司 師


『神代桜』(300号)清浄華院奉納作品

 今月より連載をさせていただく、永田英司と申します。まずは自己紹介という事で、浄土宗の開教という冊子に掲載されました文章を紹介させていただければと思います。

沖縄と袋中上人が縁となり・・・
 在家の身ながら発心し、仏道に身を捧げてからまもなく20年。画とお念仏の「道」を歩んできた私が国内開教使という存在を知ったのは4年前のことです。ご縁をもたらしてくれたのは、以前から関心のあった沖縄の地と、その地にお念仏を伝えた袋中上人の存在でした。僧侶として日々お勤めする傍ら、浄土宗芸術家協会にも席を置き日本画家としても活動する私のもとに、宗からとある連絡がありました。袋中上人が琉球を訪れて400年目にあたる平成16年の記念法要で献上する肖像画がないというのです。上人に布教を快諾した時の琉球国王尚寧が描いた画は現存しているものの、小さくて記念法要に適さないので新たに描いて欲しいとのことでした。上人の人となりを少しでも新しい画にこめようと、福島をはじめ上人ゆかりの地を訪ねていたある日、沖縄で一人の僧侶に出会いました。尚寧王が袋中上人のために建立した「桂林寺」の名を継承して寺院を建立した国内開教使工藤隆樹師です。この
時初めて国内開教使という存在を知りました。宗から承認されると、浄土宗寺院が無い地域で開山上人として自分なりのお寺を建立し、お念仏を弘通できるというのです。このとき私の胸には「袋中上人の画を描くことが機縁となり、自分なりの方法でお念仏を伝えられることを知った。私のライフワークである日本画を通してお念仏の教えを伝えたい!」という熱い思いが湧き上がりました。画を描く行為は自己表現であると同時に、自分を超えたものを見る者へ伝える行為でもあります。たとえ野に咲く小さな花一輪であっても、そこに感じた永遠の命が画に宿れば、画を通じて阿弥陀さまの御心を多くの人に伝えられるのではないかと思ったのです。
 私はこれまでの説法の経験から、画のことを話題にすると思わず法話に聞き入る方がいらっしゃることも承知していました。もとより堅苦しいことが不得手な自分にとって、画のお話を通して人の心を和らげることができるならばこんなにうれしいことはありません。心の安らぎを多くの方にお分けしたい、それも自分ならではの伝道がしたいと思うようになりました。しかし、そのような道は僧侶として相応しいものなのか・・・確信が持てないまま月日が流れていきました。そんなときにお声をかけて下さったのが大本山清浄華院第80世御法主でいらっしゃった、故大田秀三台下でした。

大田台下の叱咤激励と温情が・・・
 芸術家協会顧問の台下とは、以前からお話をさせていただく機会はありました。しかし大本山の御法主である台下です。声をかけていただくことはあっても、こちらから話しかけるなど失礼と思っていました。ところが、平成16年の夏、京都鹿ケ谷の法然院で個展を開催していたとき、台下がひょっこりと現れたのです。私はただ驚くのみでしたが、懐の深い台下はごく自然に接して下さいました。この際にと、画のことやスケッチの旅の話、日本画とお念仏が自分にもたらしてくれたもの、画を通じてお念仏の心を伝えたいことなど、色々な話をさせていただいたところ、台下はそれを受け容れるように頷きながら聞いて下さいました。個展終了後に本山へ参上し、お礼の品だけを置いてお暇したのですが、「会わずに帰るとは何ごとだ」と後にお叱りを受けましたが、その率直な物言いの中にも温かい度量の深さを感じたものでした。
 これ以降、ご遷化までの短い期間ではありましたが、あたかも出来の悪い弟子を一人前に育てるように、数多くの叱咤激励と温情をいただきました。平成18年に京都市美術館において開催された浄土宗芸術祭に出展した拙作「神代桜」(300号)にも目をとめていただき、台下がご遷化された今でも清浄華院にお飾りいただいています。
 日本画の道を歩みながらでも僧侶として精進できることを諭して下さったこと、沖縄・桂林寺との兄弟寺ということで同じ桂林寺の名を授かったときに、その寺号を自ら毛筆で書いて下さったこと、元宗務総長というお立場から具体的な助言を与えて下さったことなど、台下の有形無形の温かいご配慮とご理解によって、当初の不安や恐れは次第に無くなっていきました。まさに大山の懐に抱かれた感があり、「自分なりの道で真剣にお念仏を弘通する国内開教使の制度こそ、おまえに相応しいじゃないか。どうやらこれで、ようやく坊さんらしくなれそうだな」とのお言葉をいただいたときは、それまでの苦悩が一気に氷解し、涙が出そうになりました。

小さくとも開かれたくつろぎ処
 このような経緯もあって、開教活動の拠点は、沖縄とご縁があり、画を通した独自の開教活動が出来る街にしようと思っていました。当初の拠点とした横浜市緑区は、鶴見という沖縄県民が多数居住する地域に近い上に、港北ニュータウンという開発中の住宅地に隣接して人口が急増している反面、人口の割に浄土宗寺院が少ない地区です。そんな地域で私が作ろうとしている草庵は「小さくとも開かれたくつろぎ処」です。信徒の方々はもちろん、親に相談の出来ない子供の話に乗るのもいいですし、身寄りのないご老人がふと訪れて、阿弥陀さまを前にお茶を飲んで帰ってゆくのもいいでしょう。私自らが画と風流を好み、ゆとりのある遊び心の中にこそ、人の気持ちをほぐす効用があると考える人間です。江戸時代の京都では、茶店で茶を飲みながら、僧侶と町民が仏の道について語り合う風習があったとも聞いています。
もともと画で身を立てるより術のなかった青春を送っておりましたから、この期に及んで壮言を言う立場でもありません。今はただ、日本画と法然上人のみ教えが自分を救ってくれたことに感謝し、そのお返しを草庵に集う人々に少しでもお分けできればと考えています。

 以上をもって自己紹介とさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

 国内開教使・桂林寺住職  永 田 英 司








 東日本大地震によって亡くなられた方、行方不明の方、大津波による破壊、福島第一原子力発電所の放射の漏れと、凄(すさ)まじいまでの現実にただただ呆然とするばかりである。そして震度6にいたる余震、収束の見えない原発事故は、東北の人々は無論こと、世界にいたる人々までを不安に落とし入れていることは明確である。

 こうしたとき、宗教は何をすることができるのであろうか。無論、仏教の力で放射能漏れを止めることはできないし、復興のための重機を有するわけでもない。ただ、亡くなられた方のご冥福を祈ることであろうか。こうしたなかで、仏教そして浄土宗はどのように考えるのであろうか。何をすることができるのであろうか。いや、何をすべきであろうか。
 浄土宗は21世紀を迎え、『浄土宗21世紀劈頭(へきとう)宣言』として、法然上人の心を次のごとく世界に発信している。

  愚者の自覚を
  家庭にみ仏の光を
  社会に慈しみを
  世界に共生(ともいき)を

 今こそ、震災にあわれた方と我々との「共生(ともいき)」が求められているのではなかろうか。それでは浄土宗のとなえる「共生(ともいき)」とは、どのようなことであろう。宗のホームページから引用してみよう。

   仏教の根本思想は「縁起(えんぎ)」である。縁起とは、すべての
  「いのち」はひとつに結ばれ、共に生かし、生かされることである。
  「願共諸衆生往生安楽国」を願った中国唐の善導大師(ぜんどうだ
  いし)を師と仰いだ法然上人の心こそ、縁起の思想をふまえた「共生
  (ともいき)」である。
   この「共生(ともいき)」の教えこそ、21世紀の指針となろう。

 原発の事故で避難を強いられている人々の発言に、「東京の電気のために、何ゆえ私らがこんな目に遭わされるのか」、また東京の人は、「少なくとも当該自治体の同意があって建設されたし、多額の交付税や雇用の恩恵に与っているではないか」とある。もうこうなると単なる感情論の何物でもない。
 今こそ、法然上人の提唱される「共生(ともいき)」の実践が求められているのではなかろうか。まずは、自分の問題として受け止めていくことであろう。そしてささやかなことであっても、できることから実践をしていくことが大切である。

 自然の脅威と人間の愚かさの自覚が出発点である。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


桜の木の洞に紅葉が生える


桜と紅葉のともいき









東北地方太平洋沖地震義援金のご報告

 お彼岸のあいだ玄関でお寄せいただきました「東北地方太平洋沖地震義援金」 と 観音堂大祭の経費の一部を、浄土宗を通し見舞金といたしまして被災された方々にお送りいたしました。誠にありがとうございました。

「義援金箱」
      77,303 円
「観音堂大祭経費」
     100,000 円

 

第299回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
4月15日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
書家 米倉 隆紀 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
4月15日(金) 同時刻  養雲寺住職 青野 溥芳 師

 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月30日(月)  【14時】法要
法   話
長谷川 三恵 先生 (戒法寺寺庭)
パネルシアター
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 



お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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