この春、目通り幹囲4メートルはあろうかという欅の木の芽が吹かない。樹齢は百年を超えているであろうか。このまま台風シーズンを迎えると、一抱えもある枝が落ちてくる危険性がある。お寺の役員とも相談をして、残念ではあるが、早速にも伐採することとなった。昔は境内地の隅に静かに生えていたのであろうが、戦時中は近くに2発もの焼夷弾をあびた。寺が小高い丘の上のところにあるため、戦後は、そのすぐ脇に自動車を通すための道が作られた。ここ何年か、大方の葉が虫に食われてしまう事件が何度かあった。ほかにも住職の把握できない原因があったのであろうか、その生涯を閉じられたのである。魚尾姓が願成寺の住職を勤めるようになっておよそ百年であるから、ともにお寺を見守ってきたことになる。
近くには公道や建物があるので、そのまま切り倒すことはできない。上から少しずつ切っていくことになる。25トンのクレーン車、25メートルの高所作業車が運び込まれる。多くの人たちが見守るなか、チエンソーが鳴り響き伐採が始まる。最初の大きな枝が、その幹から切り離されると、大きなため息が漏れた。夕暮れ時にはすべての伐採を終えて西に傾きかけた夕日の光が後光のようにさし込み、木を切ることを命じたわたしには少し眩しかった。
ところで今回の伐採にあたって、工事関係者から工事前の「供養」を願われた。一般の道路工事であっても、そこに塚などがあるとよく供養を頼まれる。道々の袂などには旅の途中でなくなった人や牛馬の供養碑がたてられており、工事にあたってはそこに祀られている人や動物の供養するのである。どのように供養すればよいのであろうか、そんなマニュアルはない。
よし、表白を書こう。表白とはその法要の趣旨を述べるものである。恥ずかしいが全文を掲載しよう。
謹み敬って願王阿弥陀如来、撥遣教主釈迦牟尼世尊、並びに
一切三宝に白して云さく。
それ我が国に仏教の伝来有ってこの方、東大寺大仏開眼およ
び国分寺の建立と、さらには聖徳太子ならびに聖武天皇の仏教
を礎とする政(まつりごと)、またさらには光明皇后の社会福祉と、
歴史の中における仏教の興隆なるは、皆の首肯するところなり。
そのなかにあっても法然上人のご出現は念仏の法門のみ教え
によりて、生きとし生けるものの極楽往生を現したり。
そのみ教えの場としての天主君山現受院願成寺にあっては、三
嶋大社宮司矢田部家護持のもと、その存在を全うせり。昭和三十
三年には山本建設によりて本堂の建立、平成元年には観音堂の
建立、さらには平成二十一年には法然上人八〇〇年遠忌事業と
して書院庫裏の建設を成し遂げますます念仏道場として興隆た
り。
しかるに願成寺の隆盛を見守られし、欅の古木が、いまその命
を終えんとす。ああ悲しいかな悲しいかな、しかし悲しいなかにも
、終焉の全うを賛嘆するものなり。
いまここに願成寺第五十九世孝久みずから、倒木のための斧
を振るうものである。その亡骸は自ら立ちし所にて眠り、末代に渡
っての守護せしめ給わんことを。
維時 平成弐拾参年月六月九日
願成寺第五十九世孝久 敬白
今まさしくその生涯を閉じた欅の木に対して、まず百年ものあいだお寺を見舞ってくれたことの感謝を、そして住職みずから斧を振るってこの伐採をおこない、まさしくその木の終焉であることを告げること、さらには伐採終わったその亡骸は処分することなく立ちしその場に置くので、今までと同じように願成寺を見守ってほしいことを述べたつもりである。
一日中、外にあってひとつ一つの枝が下ろされ、最後の太い幹が切られるまですべてを見届けた。それが住職の責務に思えたからである。緊張して長い一日であったが、晩酌はいつもより美味かった。見上げていた首が少し痛い。
【目通り幹囲】めどおりかんい
樹木の幹まわりの寸法。多く、人間の目の高さ付近で測り、特にこれを目通り幹囲という。
【焼夷弾】しょうい‐だん
敵の建造物や陣地を焼くことを目的とした砲弾や爆弾。可燃性の高い焼夷剤と少量の炸薬(さくやく)を充填(じゅうてん)する。黄燐(おうりん)焼夷弾・油脂焼夷弾・エレクトロン焼夷弾などがある。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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