お盆がやってきた。拙寺のお盆は大方7月のお盆であるが、 全国的には8月13日からの旧盆が中心であろう。修善寺や伊豆長岡は、「晦日盆(みそかぼん)」「朔日盆」といって、7月31日から8月2日にお盆をする。また地蔵盆(じぞうぼん)などは、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)をあてたもので、7月24,25,26日におこなう場合と、旧暦にそって8月24,25,26日におこなわれる。
このお盆であるが、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)と民間信仰が習合して、今のようになったとも思われる。
田植えのあと畦の草刈りや田の草取りが終わって、農作業が一段落したときが、どうもお盆の時期となるようである。私の近在では、ついこのあいだまでは「盆休み」を楽しんでいた。嬉しいことが重なると、「盆と正月が一緒に来たよう」というのも同じ考えだろう。奉公人などが、実家に帰れるのもお盆と正月だけであり、主人から小遣いも出たのである。 そこで、ご先祖や新しくなくなられた方をお迎えして、ご供養申しあげるのがお盆である。
前回も申しあげたが、東日本大震災では多くの方々が亡くなられ、この旧盆には、「新盆」「初盆」としてご先祖と共にお迎えいたしご供養申しあげるわけであるが、現実にはあまりにも厳しいものがある。まだ4977人もの人が行方不明であり、お盆を前にしてつらい選択をしていると伝える。
報道によると、「お盆前に一区切り 東日本大震災 行方不明者の葬儀増える(河北新報社2011年07月31日日曜日)」とある。紹介させていただく。
宮城県南三陸町歌津の津龍院で29日、津波で行方不明になった高橋あさのさん(97)の葬儀が営まれた。「亡くなったと認めたくない。でも、それでは前に進めない。どこかでけじめをつけないと」喪主で次男の伊勢夫さん(75)と妻サヨ子さん(71)は、自分に言い聞かせるように話した。
高橋さんは入院していた公立志津川病院3階で津波にさらわれた。自宅も流されたため、骨箱には、あさのさんの写真と自宅敷地の土を納めた。
津龍院の舘寺昌晴住職(67)によると、同寺では今月上旬からほぼ毎日、行方不明者の葬儀が営まれている。
不明者を弔う家族の心情には、どの寺も神経を使う。行方不明者の骨箱には写真や衣服などの「形見の品」を入れてもらうのが通例だが、家族が「手元に残しておきたい」と希望するケースも多い。津龍院をはじめ、多くの寺が「代わりに自宅の土でもいいですよ」と家族に伝えている。
一方、行方不明のまま葬儀を行うことに抵抗を感じる家族も多い。同町の主婦佐藤やす江さん(70)は、行方不明の長男(45)が見つかるまで、葬儀を出す気にはなれない。 「見つけてもらうのを待つ息子に悪いような気がして…」と佐藤さん。「お盆がだめなら、お彼岸までに間に合えばと願っているの」と涙をこらえる。
同じく不明者の葬儀が相次いでいる気仙沼市波路上の地福寺。片山秀光住職(71)は「不明者の葬儀では多くの家族が複雑な表情のまま参列している。焦らず、本当に心の区切りができたとき、供養してほしい」と話している。
私もこのお盆で東日本大震災で亡くなられた方のご供養を申しあげたが、もっともっと一人一人に思いを込めて、哀悼の心を献げなければならないと強く感じた。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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