3年ほどまえから、托鉢をしている。托鉢とは、古代インド宗教における修行者の風習が、のちに彼の地で仏教に取り入れられたもので、やがて中国や日本の諸宗にも伝えられた。
私に托鉢を始める縁を作ってくれたのは、平成20年7月に遷化された浄土宗僧侶・須藤一道上人だった。亡くなる数日まえまで、上人は浅草寺門前の仲見世通り、高尾山薬王院、芝の増上寺などで共に立つことを勧めてくれ、今にして思うと遺言のように矢継ぎ早に、多くの作法を教えてくれた。そして上人の逝った現在は、自坊と同様の神奈川県にある、鎌倉大仏でひとり托鉢を続けている。
この鎌倉大仏は、「長谷大仏」「露座の大仏」など、いにしえより民衆の親しみがこもった名称で呼ばれている。国宝に指定されている正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」。像高11.3メートル、総重量は約121トンに及ぶ。建長4年(1253年)に鋳造を始めたことが『吾妻鏡』に記されているから、今年で創建758年ということになる。
鎌倉大仏の寺号は「高徳院」。鎌倉市街より西方の長谷にあり、南へ下れば江ノ電の踏切を越えて、由比ヶ浜へといたる。そこから国道134号線をさらに西へ向かうと、鎌倉市・西端の稲村ヶ崎がある。海を染める夕陽がことのほか美しい。阿弥陀如来のお座す西方浄土を現世に映したともされるこの場所は、今風に言うとさながらパワースポットのようだと思いながら托鉢をしている。
幾星霜の風月に耐えて来られた鎌倉大仏の傍らで、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」と阿弥陀如来の名を口に出して唱え続けていると、何か不思議な気配さえ感じられてくる。
ところで、托鉢していて常々思うのは、「なぜこんなにも豊かな気持ちになれるのだろう」ということだ。たとえば年配の男性が早足で近づいてきて、「こんな事は生涯にいちどだけだと思う」と自らに言い聞かせながら、多額の布施を鉢に入れてくれたことがある。子供たちが小銭を持って真っすぐにこちらへ向かい、微笑んでくれたりもする。私は網代笠を深く被っているので足元とその周囲しか見えず、お布施の主を気配から察するほかないのだが、それだけによりいっそう、こちらに近づいてくる動きが細かく感じ取れる。
そんなときは布施をしてくれた多くの人々から、いろいろな気持ちを素直に向けてもらえる。托鉢という行為をしている修行者の私と未知の人たちとのあいだに、共通した祈りの気持ちの交流が、瞬時に生まれるからかもしれない。大げさかもしれないが、互いの善行に希望さえ湧いてくるようだ。そしてこの心の交流は、「六波羅蜜」の教えにも似ていると感じることがある。
六波羅蜜とは、菩薩がおこなうべき六つの実践徳目のことを指し、その一番目に挙げられている「布施」は、施す者も施される者も本来は空であるとして、執着せず離れるべきとしている。この布施には三つのものがあり(三施)、衣食など物質を与える財施、教えを説き与える法施、畏れを取り除く無畏施、となっている。
六波羅蜜の二つめは「持戒」で、戒律を守ること。三つめは「忍辱」で、苦難に耐え忍ぶこと。四つめの「精進」は常に仏道を実践することだ。五つめの「禅定」は、瞑想することにより精神を統一させること、としている。そして六つめが「知慧」(般若)。真理を追求し、悟りを完成させよと説いている。六波羅蜜のなかではこの最後の「知慧」がもっとも大切であり、他の五つはこれを得るための準備とされている。
托鉢という行為はひとときではあるが、布施を受ける側とそれを施す側の両者が、六波羅蜜の「知慧」を無意識に体現しているように、私には思えてならない。
お寺の心づかいでいつも托鉢終了後に、茶屋でひと休みさせてくれることになっている。木造平屋の店にはみやげ物が並び、軽食をとることもできる。郷愁を感じさせてくれる、何とも素敵な場所だ。阿弥陀如来の功徳なのか、働いている人たちの誰もが、格別に優しい顔立ちで対応してくれる。美味しい飲み物を差し出してくれ、いろいろと雑談を交わしながらの一杯は、これこそ「知慧」の完成かもしれないと思うほどだ。
国内開教使・桂林寺住職 永 田 英 司
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