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次回配信日は、12月1日です。




理想を描いた懐かしい風景がひろがる


岩に描かれた祈りの絵と、水車小屋にはマニ車が


田舎の素朴なチョルテンに、功徳への祈りを感じる
(永田英司画)


タンチョたなびく3000m級の地の寺院

 「シャングリラ」(正しくはシャングリ・ラ)という言葉がある。英国の作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した『失われた地平線』のなかで「理想郷」を意味する言葉として登場させ、以来、世界的に有名な語句となった。
 この小説を原作とした映画が、1937年にハリウッドによってモノクロで製作された。題名は『失はれた地平線』といい、主演はコールマンひげで知られていた当時の二枚目俳優、ロナルド・コールマン。彼の扮する英国領事は多くの著書を世に出しており、そのどれもが、人類に対する理想を表現・追求したものばかりだった。
 彼は映画のなかで、中国の奥地に駐在している。そこはまさに戦乱のさなかで、戦禍を逃れようとパイロットを含めた5人の人物たちを乗せた飛行機が、いま飛び立とうとしている。この場面から映画は始まるのだが、しかしいつの間にか操縦士はチベット人に替わっており、上海に向かっていたはずの機体は、チベットの雪深い奥地に不時着する。操縦士はそこで息絶え、途方に暮れた生存者たちのまえに、ラマ僧の率いる一隊がどこからともなく現れる。伝説の理想郷「シャングリラ」と呼ばれる楽園へ、導いてくれるというのだ。
 のちにわかることなのだが、これはシャングリラを統治する大僧正が仕組んだことで、僧正は以前から主人公の著作を熱心に読んでおり、まさにその作者コンウェイこそが自分の後継者に相応しいと思って、彼を理想郷へと導き入れたのだった。
 小説『失われた地平線』と、それを映画化した作品が公開されたことによって、「シャングリラ」という言葉は“美しい花々の咲く、ヒマラヤ奥地の平和な永遠の楽園”というイメージとして、多くの人々に広まっていった。
 現在では、その「シャングリラ」という言葉は、観光地のキャッチフレーズとして用いられることも多く、パキスタン北部やインド北部、そして中国西部などが理想郷であることを謳っている。しかし「シャングリラ」といえばやはり、チベット自治区やヒマラヤ山脈地域などが、その本場だろう。

 そんなシャングリラのひとつとして注目されているブータン王国に、仏教研修を目的として、9月初旬に一週間ほど訪れた。ブータン王国はヒマラヤ山脈東端の、南斜面に位置している。国土は九州をひとまわり大きくしたほどで、標高は南一帯が150〜1200メートルほどのインド平原で亜熱帯性気候、北の半分は中国と国境を接しており、7,500メートル級のヒマラヤの峰々が連なっている。
 仏教王国であるブータンでは、チベット密教の流れを汲む宗派(ドゥク・カギュ派)を、世界で唯一、国教としている。そんなこともあり、同じく仏教徒である私たちはいくつかの僧院を巡り、かの地で法要にも参加させていただいた。とある僧院では、今年が法然上人八百年大遠忌ということもあって、その大遠忌の法要散華までさせていただくことになった。まさに理想の地で、得難い体験をすることができた。
 そんなブータン各地の僧院を訪ねる旅の途中、風景のいたるところに、祈りの場所があった。たとえば、水車小屋のなかにあったマニ車。普通ならば信者が手でまわすものなのだが、ここでは優雅なことに、水を上手に利用していた。緑豊かな山々と、その深き渓谷から流れる豊潤な水の流れを小屋の水車が受けとめ、その力がマニ車に伝わるようにつくられているのだ。
 筒のようなかたちをしたマニ車の側面には、マントラ(真言)が刻まれており、内部にはロール状の経文が収められている。この周囲を右回りで一回まわると、お経を読んだのと同じ功徳が得られるという。
 風が吹く山々の斜面にはまた、白い旗竿が立ち並んでいた。お経を印刷した布の「ダルシン」(経文旗)が竿に巻きつけられており、それが風になびく毎に、やはりお経を唱えたのと同じ功徳を得ることができる。このダルシンはまた、死者への回向(えこう・功徳をほどこし死者の成仏を祈ること)の旗でもあると聞かされた。
 ブータンでは、仏塔のことを「チョルテン」と呼んでいる。外観は小さな家屋、もしくは先が円錐形にすぼまった白い灯籠のようで、こちらにもまた経文が収められている。そしてその周囲を右回りでまわると、やはり功徳が得られる。このチョルテンは寺院の庭や道端など、いたるところに建てられているようだ。それはチョルテンを建立することで、功徳が新たに生まれるからなのだろう。

 雄大な自然に抱かれて日々を暮らし、その自然からの恵みである水や風などを、特徴のある祈りのかたちへと取り込んでいるからだろうか、人々はみな誰もが、安らかな気持ちをしているように見えてならなかった。
 特に老人たちは、素晴らしい笑顔をしていた。そうとは意識しなくとも、功徳を積む生活を毎日あたりまえのように重ねて来たからなのか、視線を向けている私が逆に幸福感を覚えさせられるほど、彼らは安心した心地のなかにあった。まだ経験を積んではいないが、子供たちもまた、底抜けに幸福そうで素敵な笑顔を見せてくれた。
 ブータン王国には、「国民総幸福量」(GNH:Gross National Happiness)という、独自の尺度がある。これは1970年代に国王が提唱したもので、物質的な豊かさだけではなく、精神の幸福度を大切にしたいとの考えから生まれた。以前からブータンではあたりまえであった価値観を改めて数値化したものなのだが、経済成長を主とした西洋文明的な生き方が、はたして今日でもまだ幸福といえるのかどうか。それとも経済的には貧しくとも、他者とのつながりあいや自然との触れあいのなかで、慎ましやかに安心して暮らすほうが幸福なのではないか…。
 国王がGNHを提唱して以来、国民たちは特にそれを意識することもなく、それまでの生活をそのまま続けているという。

 映画『失はれた地平線』の冒頭では、こんな言葉が、主人公の独白として語られている。
 「君は夢見たことがあるかい。生きることが喜びであるような、平和で安全な土地を。もちろんあるだろう。昔から誰もが夢見てきたその場所を、“ユートピア”と呼ぶ人もいれば“若さの泉”や“楽園”と言う人もいる。そしてそんな夢のような場所を、実際に見た者がいるのだ…」
 そう語る主人公コンウェイは、いちどはシャングリラから母国の英国へ戻ろうとするのだが、雪深い山奥にある理想郷へと、ふたたび戻ってゆく。映画はこの場面で、エンディングとなっている。

 国内開教使・桂林寺住職  永 田 英 司








 10月から11月にかけて、全国の浄土宗寺院の多くでは、お十夜法要がおこなわれている。その源流は15世紀、京都にある真如堂(天台宗・真正極楽寺)にさかのぼる。平貞国という人物が世の無常をかなしみ、三日三夜の不断念仏をこのお堂で修行したところ、霊験を得たのだとされている。そしてその霊験がもたらしたものはまさに彼の人生を救うことになり、これに感謝した貞国はのちに七日七夜の念仏を加え、十日十夜のお念仏が始まった。

 浄土宗では、明応4年(1495)3月に、鎌倉光明寺の九世・観誉祐崇上人が、後土御門天皇の招きを受けて京都にのぼったところから、お十夜とのつながりが始まった。上人はその際にまず宮中で「阿弥陀経」の講義をおこない、さらに真如堂の僧侶たちと共に自らが導師となって、引声念仏を厳修した。そしてこの修行に強く感動した祐誉上人は、お十夜法要をぜひ鎌倉光明寺に持ち帰りたいと懇願した。平貞国が世をはかなんだように、当時は戦乱の世で人々の生活は困窮のきわみにあり、現世安穏・後生安楽を望まれた天皇は、念仏をひろめるためにも上人にお十夜を勅許された。
 浄土宗でもっとも重要な経典のひとつ「無量寿経」では、「この世で十日十夜お念仏に励むことは極楽浄土で千年修行するよりも優れている」とされており、この一文をもって浄土宗では、お十夜の典拠としている。

 鎌倉光明寺では、元祖法然上人八百年大遠忌の今年も、10月12日から15日までお十夜が厳修された。私自身も、14日の初夜法要に随喜した。そしてその2日後の16日から、北海道の東組10ヶ寺へお十夜法要法話の旅に行くことになった。
 オホーツク海に面した港町にある顕正寺(紋別市)から、その旅は始まった。以下、訪れたお寺を挙げておきたい。
 明照寺(北見市)、善立寺(美幌町)、大徳寺(根室市)、大雄寺(根室市)、天徳寺(中標津町)、大厚寺(厚岸町)、大成寺(釧路市)、浄土寺(釧路市)、そしてさいごに大然寺(帯広市)。
 つまり、オホーツク海から知床一帯を大きく時計回りで南下し、さいはての地のようにも思われる根室からは太平洋沿いに、内陸の帯広まで移動したことになる。そのあまりの広さ、ひとつの場所からもうひとつの場所への距離の長さに、私は言葉を失ってしまいそうだった。そして車さえなかった明治前後の時代にこの地に開教使たちが入り、その広大な地域に開拓の精神をもって説教所を設立していまにいたる時間の距離にも、ただひたすらの努力と忍耐があったのだと痛感させられた。
 私自身も国内開教使となって5年目になるが、この地で先達の皆さまが払ったご苦労の一端を感じさせていただいた。そして鎌倉光明寺から全国に始まったお十夜が、この遠い地において今なお相続されていることを自分の目で拝見することができ、たいへん有り難く感じた。

 実りの秋の季節だったので、旬の食物にも恵まれた旅となった。オホーツク海、根室海峡、太平洋と変化に富んだ豊かな海があり、そこからの恵みである秋サケ、サンマ、花咲ガニなどを味わわせていただいた。そして豊かなのはもちろん、海だけではない。知床、阿寒、釧路湿原などこの地には、3つもの国立公園があるのだ。
 これらの環境を保護しているのが、ラムサール条約だ。正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、水鳥を食物連鎖の頂点とした、湿地の生態系を環境そのままに保護することを目的としている。この条約に登録された湿地は日本では37を数え、今回の道東の旅では4ヵ所を観ることができた。
 その1ヶ所めは、厚岸湖・別寒辺牛(べかんべうし)湿原。汽水湖のカキ養殖地として、よく知られている。ここでは高濃度の塩分に耐える“塩性植物”が発見されており、地名を取ってアッケシソウという。その赤く美しい形は珊瑚に似ているため、サンゴソウともいわれている。ちなみに厚岸の由来は、アイヌ語の「アッケケシ」(カキのあるところ)だという説もあるそうだ。
 つづいて訪れた風蓮湖・春国岱(しゅんくにたい)は根室半島の付け根にあり、何とも不思議な地形の場所だった。風蓮湖は春国岱そして走古丹(はしりこたん)のふたつの砂州で閉ざされており、いわゆる「海跡湖」の地形を見せている。この不思議な湖の遊歩道を散歩していると、タンチョウヅルや多くの鳥たちが休んでいるところを、目にすることができた。ここでもアッケシソウの群生を観ることができ、嬉しく感じた。花咲く季節にはハマナスが群生し、その他様々な草花も相まって、豪華絢爛たる眺めなのだという。
 さて3ヶ所めは、標津町に位置する野付半島・野付湾。半島とはいえ、これはオホーツク海にのびた日本最大級の砂嘴(さし)であり、半島の付け根からエビの尻尾形の先端まで、実に約28キロメートルもある。水鳥たちの食料が豊富で、ラムサール条約の特別鳥獣保護区に指定されている。渡り鳥の最盛期には、多くの水鳥が飛来するという。ここには、地盤沈下と海水侵入で立ち枯れたトドマツをはじめとする枯れ木群があり、これをアイヌ語では「トドワラ」(立ち枯れた地)という。この野付半島の独特な風景は、異次元の世界へ誘ってくれた。
 さいごの4ヶ所めは釧路湿原。釧路市の北にひろがる、日本最大の泥炭湿原だ。1980年に、日本で第1号としてラムサール条約に登録された。ここでは東・北・西の三方が丘になっており、それらに囲まれた湿原のなかを、釧路川がゆっくりと蛇行している。変化にあふれた、自然の生んだ造形美を見せてくれる場所だ。秋の季節にはヨシやアシが色づき、遠くには阿寒の山々が望める。圧倒されるほどの、壮大な眺望だ。
 ラムサール条約に保護される自然は繊細でありながら、その規模はあくまでも雄大であり、そのような大きな土地に生きる人々のたくましさに触れることができた。その残像を胸に、私も開教使としての活動をいっそうに励まされたような、北の大地のお十夜の旅だった。

 国内開教使・桂林寺住職  永 田 英 司


   ここ鎌倉光明寺から、お十夜は全国にひろがっていった。
   そんなひとしおの想いを胸に、随喜させていただいた。


       これほどの湿原を初めて目にした。
       蛇行する釧路川と湿地が織りなすモザイク。


あくまでも透明な空気と水が広がっている
(永田英司画)









東北地方太平洋沖地震義援金のご報告

 お彼岸のあいだ玄関でお寄せいただきました「東北地方太平洋沖地震義援金」 と 観音堂大祭の経費の一部を、浄土宗を通し見舞金といたしまして被災された方々にお送りいたしました。誠にありがとうございました。

「義援金箱」
      77,303 円
「観音堂大祭経費」
     100,000 円

 

第306回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
11月18日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
如来寺 荻田 宣史 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
12月16日(金) 同時刻  大泉寺 小島 健布 師

 

暮れの墓地大掃除のお知らせ

 毎年12月の第2日曜日は、暮れの墓地および境内地の大掃除となっております。お忙しい折とは存じますが、ご家族でご参加下をお願いいたします。当日は「温かい豚汁」を用意いたしておりますので、お掃除終了後お召し上がり下さい。

日   時
12月11日(日) 9時より (小雨決行)
お 願 い
できますならばお掃除の道具をご持参下さい。
駐車場が少ないのでご注意下さい。

 

修正会(新年会)のお知らせ

 恒例の新年の初参り、護持会総会、新年会を開催いたします。ご申込は、暮れのお参りの折、またお電話にて前日までにお願いいたします。

日   時
1月4日(水) 11時より
内   容
初参り、護持会総会、福引き、会食
会   費
2,000円
申 込 み
暮れのお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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