「シャングリラ」(正しくはシャングリ・ラ)という言葉がある。英国の作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した『失われた地平線』のなかで「理想郷」を意味する言葉として登場させ、以来、世界的に有名な語句となった。
この小説を原作とした映画が、1937年にハリウッドによってモノクロで製作された。題名は『失はれた地平線』といい、主演はコールマンひげで知られていた当時の二枚目俳優、ロナルド・コールマン。彼の扮する英国領事は多くの著書を世に出しており、そのどれもが、人類に対する理想を表現・追求したものばかりだった。
彼は映画のなかで、中国の奥地に駐在している。そこはまさに戦乱のさなかで、戦禍を逃れようとパイロットを含めた5人の人物たちを乗せた飛行機が、いま飛び立とうとしている。この場面から映画は始まるのだが、しかしいつの間にか操縦士はチベット人に替わっており、上海に向かっていたはずの機体は、チベットの雪深い奥地に不時着する。操縦士はそこで息絶え、途方に暮れた生存者たちのまえに、ラマ僧の率いる一隊がどこからともなく現れる。伝説の理想郷「シャングリラ」と呼ばれる楽園へ、導いてくれるというのだ。
のちにわかることなのだが、これはシャングリラを統治する大僧正が仕組んだことで、僧正は以前から主人公の著作を熱心に読んでおり、まさにその作者コンウェイこそが自分の後継者に相応しいと思って、彼を理想郷へと導き入れたのだった。
小説『失われた地平線』と、それを映画化した作品が公開されたことによって、「シャングリラ」という言葉は“美しい花々の咲く、ヒマラヤ奥地の平和な永遠の楽園”というイメージとして、多くの人々に広まっていった。
現在では、その「シャングリラ」という言葉は、観光地のキャッチフレーズとして用いられることも多く、パキスタン北部やインド北部、そして中国西部などが理想郷であることを謳っている。しかし「シャングリラ」といえばやはり、チベット自治区やヒマラヤ山脈地域などが、その本場だろう。
そんなシャングリラのひとつとして注目されているブータン王国に、仏教研修を目的として、9月初旬に一週間ほど訪れた。ブータン王国はヒマラヤ山脈東端の、南斜面に位置している。国土は九州をひとまわり大きくしたほどで、標高は南一帯が150〜1200メートルほどのインド平原で亜熱帯性気候、北の半分は中国と国境を接しており、7,500メートル級のヒマラヤの峰々が連なっている。
仏教王国であるブータンでは、チベット密教の流れを汲む宗派(ドゥク・カギュ派)を、世界で唯一、国教としている。そんなこともあり、同じく仏教徒である私たちはいくつかの僧院を巡り、かの地で法要にも参加させていただいた。とある僧院では、今年が法然上人八百年大遠忌ということもあって、その大遠忌の法要散華までさせていただくことになった。まさに理想の地で、得難い体験をすることができた。
そんなブータン各地の僧院を訪ねる旅の途中、風景のいたるところに、祈りの場所があった。たとえば、水車小屋のなかにあったマニ車。普通ならば信者が手でまわすものなのだが、ここでは優雅なことに、水を上手に利用していた。緑豊かな山々と、その深き渓谷から流れる豊潤な水の流れを小屋の水車が受けとめ、その力がマニ車に伝わるようにつくられているのだ。
筒のようなかたちをしたマニ車の側面には、マントラ(真言)が刻まれており、内部にはロール状の経文が収められている。この周囲を右回りで一回まわると、お経を読んだのと同じ功徳が得られるという。
風が吹く山々の斜面にはまた、白い旗竿が立ち並んでいた。お経を印刷した布の「ダルシン」(経文旗)が竿に巻きつけられており、それが風になびく毎に、やはりお経を唱えたのと同じ功徳を得ることができる。このダルシンはまた、死者への回向(えこう・功徳をほどこし死者の成仏を祈ること)の旗でもあると聞かされた。
ブータンでは、仏塔のことを「チョルテン」と呼んでいる。外観は小さな家屋、もしくは先が円錐形にすぼまった白い灯籠のようで、こちらにもまた経文が収められている。そしてその周囲を右回りでまわると、やはり功徳が得られる。このチョルテンは寺院の庭や道端など、いたるところに建てられているようだ。それはチョルテンを建立することで、功徳が新たに生まれるからなのだろう。
雄大な自然に抱かれて日々を暮らし、その自然からの恵みである水や風などを、特徴のある祈りのかたちへと取り込んでいるからだろうか、人々はみな誰もが、安らかな気持ちをしているように見えてならなかった。
特に老人たちは、素晴らしい笑顔をしていた。そうとは意識しなくとも、功徳を積む生活を毎日あたりまえのように重ねて来たからなのか、視線を向けている私が逆に幸福感を覚えさせられるほど、彼らは安心した心地のなかにあった。まだ経験を積んではいないが、子供たちもまた、底抜けに幸福そうで素敵な笑顔を見せてくれた。
ブータン王国には、「国民総幸福量」(GNH:Gross National Happiness)という、独自の尺度がある。これは1970年代に国王が提唱したもので、物質的な豊かさだけではなく、精神の幸福度を大切にしたいとの考えから生まれた。以前からブータンではあたりまえであった価値観を改めて数値化したものなのだが、経済成長を主とした西洋文明的な生き方が、はたして今日でもまだ幸福といえるのかどうか。それとも経済的には貧しくとも、他者とのつながりあいや自然との触れあいのなかで、慎ましやかに安心して暮らすほうが幸福なのではないか…。
国王がGNHを提唱して以来、国民たちは特にそれを意識することもなく、それまでの生活をそのまま続けているという。
映画『失はれた地平線』の冒頭では、こんな言葉が、主人公の独白として語られている。
「君は夢見たことがあるかい。生きることが喜びであるような、平和で安全な土地を。もちろんあるだろう。昔から誰もが夢見てきたその場所を、“ユートピア”と呼ぶ人もいれば“若さの泉”や“楽園”と言う人もいる。そしてそんな夢のような場所を、実際に見た者がいるのだ…」
そう語る主人公コンウェイは、いちどはシャングリラから母国の英国へ戻ろうとするのだが、雪深い山奥にある理想郷へと、ふたたび戻ってゆく。映画はこの場面で、エンディングとなっている。
国内開教使・桂林寺住職 永 田 英 司
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