どのような条件下であっても食事とは楽しみである。家族そろっての食事から、ひとりでの食事もまた良いものである。
時として昼ひとりで「天ぷらのざる蕎麦」を作って食べることがある。主婦層に話すと、「昼にそんな面倒なことを」と、変わり者のように言われるが。基本は買い物に行かないことである。冷蔵庫に残っている野菜を天ぷらとするが、時には奮発して冷凍庫に買い置きしてある生桜エビでかき揚げを作る。桜エビは春と秋に解禁となり、2キロほど購入し小分けして冷凍庫に眠らせてある。干し桜エビのアイテムもあるが、駿河湾に面して生活している以上、かき揚げにしろ、桜エビのお好み焼きにしろ、冷凍物と言われようと全体に生桜エビで、その味は10倍ほど違うからである。三つ葉や刻み葱などは混ぜず、贅沢に桜エビだけのかき揚げである。いや正確ではない、 桜エビだけのかき揚げのが、調理が一番美味くいくからである。たとえば三つ葉と桜エビのかき揚げは、2つの素材の揚がる温度が違うので、三つ葉に合わせると桜エビがカラリと揚がらず、桜エビに合わせると三つ葉が揚がりすぎて、ときには三つ葉のきれいな緑色が台無しになってしまう。蕎麦は一応お気に入りの乾麺を茹で、薬味を用意する。おいしい蕎麦ほど、少しの薬味で良い。逆の場合は、たくさんの薬味でいただくと良い。
ゆったりとした時間の流れのなかで、ひとりゆっくりと食する。昼であるが、良い酒の1合もあると至福のときとなるであろうが、とんでもないことである。おおかた私が天ぷら蕎麦を作るときは、メルマガの原稿などが切羽詰まっており、本来ならば食事も簡単に済ませて机に向かうべきである。でも楽しい食事である。
この原稿を途中にして、仕事に出かける。やはり今日の昼は立ち蕎麦で天ぷら蕎麦であろう。それはそれなりに美味しくいただいていると、カウンターの調理の人の話が聞こえてくる。調理の段取りの声は気持ちが良いが、会社の人のことであろうか悪口批判で最低な私語である。それなりの蕎麦が急に不味くなった。
そういえば何年前のことであろうか、銀座の一流割烹に連れて行っていただいた。カウンターで板前さんと食べ物談義に花が咲く。そこに若い板前さんが入ってくると、やたら叱るのである。内容はわからないが、じつに不愉快である。一所懸命作った料理の品々を同じ人物が台無しにしてしまっているのである。
そこで思い出すのが人気テレビドラマ「味いちもんめ」である。藤村という高級割烹での話。
味覚の鋭さは天才的だが努力や地道が大嫌いな伊橋悟は、料理学校をトップの成績で卒業して料亭「藤村」に板前見習いとして就職する。だが、そこは封建的な世界、自信過剰の悟は下働きの扱いに反発して他の板前たちとケンカがたえない。しかし、花板である熊野の料理で自分の未熟さを思い知らされ、心を入れ替えて一流の料理人を目指そうと決意する(Wikipedia)。
伊橋悟役の中居正広は追い回しとして登場、はちゃめちゃな行動で、しばしば花板である熊野役の小林稔侍に叱られる場面が多い。無論カウンターのお客さんの前ではなく、板場の裏庭であった。
それ以来、「叱る」ときは人の居ないところで、そして食事中はしかり。空腹の時より食後のが、ただ迫力に欠けるかもしれない。
【板場の役目】(Wikipedia)
花板(はないた)
板場の責任者。献立を決めるのが、一番大きな仕事。カウンターがある店ではカウンターに立つことが多い。“しん”とも。
立板(たていた)
魚をさばき、刺身を引くのが主な仕事。カウンターがある店ではカウンターに立つことが多い。“にばん”とも。
煮方(にかた)
煮物担当。板前は煮方になれば一人前とも言われるらしい。作中のボンさん曰く、「落語家で言えば真打」。
脇鍋(わきなべ)
煮方になるための修行中の人。
向板(むこういた)
立板の補助役。魚をさばくのが仕事。本作では谷沢しか描かれていない。
脇板(わきいた)
向板になるための修行中の人。
焼方(やきかた)
魚を焼いたりするのが仕事。田楽を焼くこともある。焼場(やきば)とも言う。
油場(あぶらば)
天プラを揚げるのが主な仕事。揚場(あげば)とも言い、焼方と大体同じ地位。
八寸場(はっすんば)
盛り付け。本作では登場しない。藤村では下記の「追い回し」が兼任。名前の由来は「八寸」から。
追い回し(おいまわし)
専ら雑用係。盛り付けなども行なう。芋剥きなども追い回しの代名詞であり、「ボウズ」「ボウヤ」「アヒル」とも言う。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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