美しい満月を久しぶりに目にして、心から感動するという経験を持つことができた。
秋深い頃に、十夜法要の布教法話のために岐阜県の揖斐川町(いびかわ)にある山寺を訪れたときのことだ。このお寺で法話をさせていただくのは今回が初めてのことで、四十数名の檀信徒の方々は、みな格別に篤い信心を持っておられると聞かされていた。
日程は一泊二日、着いたその夜に法話を二回(各一時間ですぐさま翌日の午前中にも二回、そして夜はさらに三回にまで増えて、都合七時間の法話に充たされた日々だった。
その山寺に到着した時間にはすでに陽が沈んでおり、夜空にはたくさんの星が輝いていた。山村の高い場所にあるお寺の庭からその夜空を眺めていると、やがて向こう側にある山々から、大きな美しい満月がのぼり始めた。その瞬間、それまで真っ暗だった村が月の光で照らし出された。山村でしかも満月とはいえ、月ひとつでここまで明るく照らされることに、私は新鮮な感銘を覚えた。
その感銘を胸に早々に本堂へ入り、一回目の話をさせていただいた。私が到着するまえには底冷えがしていたであろう本堂には、いくつものストーブが置かれ、隅々まで暖かくしてくれていた。
最初の話が終わって休憩のあいだに庭内出てみると、月は高い位置に移動しており、ますます明るく輝いていた。あまりにも美しい満月なので、我を忘れたかのようにしばらく見上げつづけてしまうほどだった。そしてそのとき、法然上人が在世の頃の月も、変わることなく山奥の村々を、このように照らしていたのだろうかと思った。
浄土宗を象徴する宗歌として、法然上人の詠んだものがある。
月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ
月の明かりはいまも昔も変わるととなく、この地上をあまねく照らしてくれている。そしてそれを眺める人に信じる心があれば、その心には月の美しさがいっそうに澄みわたるという意味だ。山寺の庭から夜空の満月を見上げたことで、この歌の真意をつくづくと体感させてもらった。ちなみに上の句では阿弥陀仏の慈悲が示され、下の句では我々凡夫が念仏を唱える心の大切さがうたわれている。
ここで私ごとながらに思うのは、自身のお寺である桂林寺の寺号「桂林」が、そもそもは月と縁の深い意味あいを持っているということだ。桂は日本ではカツラ科の落葉喬木だが、古来より中国では木犀などの香木を指す総称となっている。また桂花という言葉があるように、まさにこれは木犀の花そのものを表している。そしてその香り高い木犀の花に露が宿り、香しさがいっそうに漂っているさまは、桂花露香といわれる。いずれの表現でもこのように「桂」という文字は、その香りがどこまでも届くということで、慈悲の心にもたとえられている。
この桂が月に関係するという中国の伝説がある。それによると月には桂の大きな樹があり、その高さは五百尺にもなるというのだ。この伝説から派生して、桂は月の別名ともなってきた。
さて、400年ほどまえの沖縄の話だ。当時は琉球といわれたその王国で、浄土宗の僧侶、袋中上人(たいちゅう)が念仏の教えを布教していた。時の王府高官が袋中上人に「琉球神道記」の執筆を依頼するほどの丁重なあつかいがなされ、その書を読んだ尚寧王〈しようねいおう)は、念仏の教えに帰依した。そして上人のために、桂林寺というお寺まで建立した。残念ながらこのときのお寺は戦争で焼失することになり、現在は那覇市松山町松山公園の奥に、もとの寺跡を示す記念碑が残されている。
この袋中上人の肖像画(五十号)を、平成十六年に那覇で開かれた上人の記念法要に際して、浄土宗からの依頼で私が描かせていただくことになった。振り返ればこのときのことが縁となって、私はその後開教使への道を歩み出した。新寺を建立したときには何の迷いもなく、袋中上人ゆかりの桂林寺を寺号とさせていただいた。
これは私のささやかな推測になるのだが、先にあげた法然上人の月影の歌を、尚寧王は袋中上人より教示されていたのではないかと思うのだ。当時の琉球国はご承知のとおり中国とのあいだに密接な交易の関係があり、尚寧王もまた袋中上人と同じように、中国の故事には精通していた。法然上人の詠んだ歌を教えられた王はすぐさまにその意味を理解し、月を意味する言葉である「桂」を用いた桂林寺を寺号どして授けた。月の光のあまねく照らすように、慈悲の教えを琉球の地にひろく伝えていただきたいとの王の心が、そこにはあったような気がしている。
古来より人々は月を愛でてきた。照明のあふれている現在とは違い、陽が沈めば明かりひとつなくなる時代にはいつでも、その愛でる気持ちはひとしおのものであったことだろう。そのような想いを岐阜県揖斐の奥深い山村で、満月を見上げながら新たにすることができた。
陽が沈んだあとの夜を明るく照らしてくれる月こそ、いにしえに法然上人が詠まれたようにその輝きをいっそうに増し、それは人々の心の奥にまで澄みわたるのだろう。
【琉球神道記】
江戸前期の仏教・紀行書。五巻。浄土宗の僧、袋中(良定)著。慶長八年(1603)以後琉球に滞在したおりに、琉球王府の官人馬幸明の要請により執筆。同一三年完成し、慶安元年(1648)刊行。巻一〜三は仏教の世界観や伝来に関する記事。巻四・五は琉球の神々の伝説や本土から渡来した神仏に関する記録を収載し、中世末期の琉球の宗教事情を窺う上で貴重。
(日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース),
入手先 http://www.japanknowledge.com )
国内開教使・桂林寺住職 永 田 英 司
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