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次回配信日は、1月5日です。




  山村の高い場所にあるお寺で見上げた月は、
  息をのむような美しい満月だった。


  まさに見渡すかぎりの山、山、そして山。
  この奥深き地に教えをひろめられた先達の努力が偲ばれる。


  七回にわたる私の法話を、この地のお檀家さんたちはみな
  熱心に聴き入ってくださった。その篤い思いが胸に伝わり、
  法話の活力となった。


 山寺にある説教台。様々な寺院をめぐらせていただいたが、
 このように階段が付いているものを目にするのは初めてだった。

 美しい満月を久しぶりに目にして、心から感動するという経験を持つことができた。
 秋深い頃に、十夜法要の布教法話のために岐阜県の揖斐川町(いびかわ)にある山寺を訪れたときのことだ。このお寺で法話をさせていただくのは今回が初めてのことで、四十数名の檀信徒の方々は、みな格別に篤い信心を持っておられると聞かされていた。
 日程は一泊二日、着いたその夜に法話を二回(各一時間ですぐさま翌日の午前中にも二回、そして夜はさらに三回にまで増えて、都合七時間の法話に充たされた日々だった。
 その山寺に到着した時間にはすでに陽が沈んでおり、夜空にはたくさんの星が輝いていた。山村の高い場所にあるお寺の庭からその夜空を眺めていると、やがて向こう側にある山々から、大きな美しい満月がのぼり始めた。その瞬間、それまで真っ暗だった村が月の光で照らし出された。山村でしかも満月とはいえ、月ひとつでここまで明るく照らされることに、私は新鮮な感銘を覚えた。

 その感銘を胸に早々に本堂へ入り、一回目の話をさせていただいた。私が到着するまえには底冷えがしていたであろう本堂には、いくつものストーブが置かれ、隅々まで暖かくしてくれていた。
 最初の話が終わって休憩のあいだに庭内出てみると、月は高い位置に移動しており、ますます明るく輝いていた。あまりにも美しい満月なので、我を忘れたかのようにしばらく見上げつづけてしまうほどだった。そしてそのとき、法然上人が在世の頃の月も、変わることなく山奥の村々を、このように照らしていたのだろうかと思った。
 浄土宗を象徴する宗歌として、法然上人の詠んだものがある。

  月影の  いたらぬ里は なけれども
  ながむる人の 心にぞすむ

 月の明かりはいまも昔も変わるととなく、この地上をあまねく照らしてくれている。そしてそれを眺める人に信じる心があれば、その心には月の美しさがいっそうに澄みわたるという意味だ。山寺の庭から夜空の満月を見上げたことで、この歌の真意をつくづくと体感させてもらった。ちなみに上の句では阿弥陀仏の慈悲が示され、下の句では我々凡夫が念仏を唱える心の大切さがうたわれている。

 ここで私ごとながらに思うのは、自身のお寺である桂林寺の寺号「桂林」が、そもそもは月と縁の深い意味あいを持っているということだ。桂は日本ではカツラ科の落葉喬木だが、古来より中国では木犀などの香木を指す総称となっている。また桂花という言葉があるように、まさにこれは木犀の花そのものを表している。そしてその香り高い木犀の花に露が宿り、香しさがいっそうに漂っているさまは、桂花露香といわれる。いずれの表現でもこのように「桂」という文字は、その香りがどこまでも届くということで、慈悲の心にもたとえられている。
 この桂が月に関係するという中国の伝説がある。それによると月には桂の大きな樹があり、その高さは五百尺にもなるというのだ。この伝説から派生して、桂は月の別名ともなってきた。

 さて、400年ほどまえの沖縄の話だ。当時は琉球といわれたその王国で、浄土宗の僧侶、袋中上人(たいちゅう)が念仏の教えを布教していた。時の王府高官が袋中上人に「琉球神道記」の執筆を依頼するほどの丁重なあつかいがなされ、その書を読んだ尚寧王〈しようねいおう)は、念仏の教えに帰依した。そして上人のために、桂林寺というお寺まで建立した。残念ながらこのときのお寺は戦争で焼失することになり、現在は那覇市松山町松山公園の奥に、もとの寺跡を示す記念碑が残されている。
 この袋中上人の肖像画(五十号)を、平成十六年に那覇で開かれた上人の記念法要に際して、浄土宗からの依頼で私が描かせていただくことになった。振り返ればこのときのことが縁となって、私はその後開教使への道を歩み出した。新寺を建立したときには何の迷いもなく、袋中上人ゆかりの桂林寺を寺号とさせていただいた。

 これは私のささやかな推測になるのだが、先にあげた法然上人の月影の歌を、尚寧王は袋中上人より教示されていたのではないかと思うのだ。当時の琉球国はご承知のとおり中国とのあいだに密接な交易の関係があり、尚寧王もまた袋中上人と同じように、中国の故事には精通していた。法然上人の詠んだ歌を教えられた王はすぐさまにその意味を理解し、月を意味する言葉である「桂」を用いた桂林寺を寺号どして授けた。月の光のあまねく照らすように、慈悲の教えを琉球の地にひろく伝えていただきたいとの王の心が、そこにはあったような気がしている。

 古来より人々は月を愛でてきた。照明のあふれている現在とは違い、陽が沈めば明かりひとつなくなる時代にはいつでも、その愛でる気持ちはひとしおのものであったことだろう。そのような想いを岐阜県揖斐の奥深い山村で、満月を見上げながら新たにすることができた。
 陽が沈んだあとの夜を明るく照らしてくれる月こそ、いにしえに法然上人が詠まれたようにその輝きをいっそうに増し、それは人々の心の奥にまで澄みわたるのだろう。

【琉球神道記】
江戸前期の仏教・紀行書。五巻。浄土宗の僧、袋中(良定)著。慶長八年(1603)以後琉球に滞在したおりに、琉球王府の官人馬幸明の要請により執筆。同一三年完成し、慶安元年(1648)刊行。巻一〜三は仏教の世界観や伝来に関する記事。巻四・五は琉球の神々の伝説や本土から渡来した神仏に関する記録を収載し、中世末期の琉球の宗教事情を窺う上で貴重。
(日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース),
入手先 http://www.japanknowledge.com )

 国内開教使・桂林寺住職  永 田 英 司








 今年も1年が終わろうとしています。東日本大震災そして原発事故と大変な年でした。しかし年が変わっても状況は何も変わらないのです。原発事故などは、この先がまったく見えないのです。それどころか、私どもはこの出来事を永久に背負っていかなければならないのです。昭和20年に終戦を迎え今年で戦後66年になりますが、やはりその責任と痛手を背負っているように。
 きっと復興という名の下に、鉄道、港湾、道路、住宅などあらゆる施設が整備されていくでしょう。そしてあらゆる防災設備が完備されていくでしょう。しかし家族を失ったこと、生活を根底から覆させられたこと、思い出を持っていかれてしまったこと、これらは復興しないのです。だからこそ、まずインフラの整備からということはわかります。
 しかし人の心の痛手は、そう簡単に繕われるものではありません。心に空いてしまった大きな穴は元に戻ることはなく、空いたことを少しずつでも受容していくしかないのでしょうか。それには多くのエネルギーを必要とするのです。

 静岡に住んでいて、計画停電や節電に協力したり、義援金や毛布を送ったり、そしてことあるごとに亡くなられた方のご供養を申しあげましたが、今は何をすべきなのでしょうか。自問自答しますが、答えが出てきません。
 そんな折、静岡県島田市が東日本大震災で生じたがれきの処理の受け入れを発表した。受け入れを拒否する自治体が多いなかでのことです。確かに放射性物質の問題があることは承知しているし、科学的また技術的に難しいこともあることを承知していますが、私は何とかならないかと思うのです。まず受け入れは一時的なことであること、恒常的に受け入れるにはそれなりの計画や設備そして安全性の十分な検討を必要としよう。しかし、一時的なことであることを考えますと、積極的な受け入れの検討をすべきではないでしょうか。それでこそ、災害の痛みを共有できるのではないでしょうか。
 少しでも多くの自治体が災害がれきを受け入れるならば、各自治体の焼却量も少なくなり、リスクもまた少なくなることなのです。それにはやはり自治体や報道機関の信頼おけるデータの開示は当然でしょう。

 NHKテレビが、
  「放送で発表した数値(セシユム)に誤りがあったことがわかりまし
 た。原因は、分析装置の調整の不備です。なお、検出されたデータ
 そのものに不備はなかったということです。装置の再調整は、別の
 専門機関の協力も仰ぎ、二重のチェックを行いました。この度は、誤
 った数値を公表し、申し訳ありませんでした。」
などと、とんでもないことです。分析装置の不備が問題ではなく、こうした重要な課題は、同時に二つの機関に分析をさせ、数値の確認をしてからデータとして使うべきものです。
 こうしたことが、「災害がれき」の受け入れに、ブレーキをかけていることを認識して欲しいのです。

 法燃上人は、「共生(ともいき)」を説かれました。今こそ、実践すべき時なのです。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


大本山増上寺









東北地方太平洋沖地震義援金のご報告

 お彼岸のあいだ玄関でお寄せいただきました「東北地方太平洋沖地震義援金」 と 観音堂大祭の経費の一部を、浄土宗を通し見舞金といたしまして被災された方々にお送りいたしました。誠にありがとうございました。

「義援金箱」
      77,303 円
「観音堂大祭経費」
     100,000 円

 

第307回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
12月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
大泉寺 小島 健布 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
1月20日(金) 同時刻  未定

 

修正会(新年会)のお知らせ

 恒例の新年の初参り、護持会総会、新年会を開催いたします。ご申込は、暮れのお参りの折、またお電話にて前日までにお願いいたします。

日   時
1月4日(水) 11時より
内   容
初参り、護持会総会、福引き、会食
会   費
2,000円
申 込 み
暮れのお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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