願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、1月16日です。




里芋汁

 新春をお迎えいたしましたこと、心よりお慶び申しあげます。静岡では三が日とも日中は気温が最高13度の日もあり、風もないため暖かいお正月となりました。三嶋大社には約62万人の初詣の人出と報道されています。三島市の人口がおよそ11万人ですから、その人出は凄いものです。

 拙寺でも例年4日には(しゅしょうえ)を開催しております。本堂で初参りをして、書院で新年会をいたします。毎年のことですが、今年からは「東日本大震災物故者霊位追善菩提」と、震災で亡くなられた方のご供養を申しあげました。

 前日には、これも恒例の里芋汁の準備に取りかかります。じつは何年か前にメルマガにも書いたことがあるのですが、所沢の知人中村晴一さんがお檀家さんのために立派な里芋を送って下さるのです。お芋のプロで、それはそれは美味しい里芋です。色が白く、土臭さがなく、口の中で溶けていくようです。
 形の整っている里芋を50個選び皮をむいていきます。良いお芋は皮むきの時点でわかります。そう力を入れることなく、むくことができるからです。お椀には大きな里芋がひとつはいります。ふと、できあがったお芋を見ますと、多少の大小があります。これだけはどうすることもできません。間違っても大きいお芋の皮は厚くむくということはありません。大げさに言うと、どうしても大きいお芋、小さいお芋ができてしまうのです。

 あっ、修正会の「お話」はこれでいこう。食前の詞に「その功徳を念じて品の多少を選ばじ、いただきます。」というのがあります。この考え方、は仏教の根本的な考え方で「小欲知足」に基づくものと思われます。
 元禄時代の無能上人は、「少欲知足」の心を次のように詠んでいます。

  何事も なきにたりぬる 身ぞ安き 思ひもとむる 心なければ

 われわれが日常生活をして参りますときは、この「欲」も必要かと思われます。欲は原動力となるからです。しかし、過ぎたる欲こそ、身の破滅を招きますことはご承知の通りです。わかっていることですが、難しいことのようにも思われます。今年、心に留めておくこととなさいませんか。

【修正会 】
正月の初め、お寺では社会の平和と人々の幸福を祈って、 法会(ほうえ)を修します。これを修正会といいます。私たちも無事新年を迎えられたことをご本尊さまに感謝し、この一年すこやかに過ごせるよう、元日には一家そろって 菩提寺(ぼだいじ)へ初詣りをいたしましょう。
(浄土宗ホームページより http://www.jodo.or.jp/

【少欲知足】 【小欲知足】
欲望が少なく、わずかばかりのことで満足すること。
*栂尾明恵上人伝記〔1232〜50頃〕下「小欲知足(シャウヨクチソ
  ク)ならば天下安く治るべし」
*無量寿経‐上「少欲知足(略)」
日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース),
入手先< http://www.japanknowledge.com >, (参照 2012-01-05)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久








 皆様、あけましておめでとうございます。今年も一年間、メールマガジンの執筆を担当させていただきます。よろしくお願いします。

 さて、昨年のことになりますが、12月25日に総本山知恩院へ行って参りました。この日は御身拭式(おみぬぐいしき)、併せて御影堂修理に伴い、法然上人の御影に集会堂へ御移りいただく、遷座式が行われました。
 知恩院の御影堂は昨年12月25日から約8年ほど大修理にはいり、堂内へと入ることができなくなりました。御影堂は寛永10年(1633年)の火災で一度焼失しましたが、寛永16年(1639)江戸幕府第三代将軍徳川家光によって6年かけて再建されました。しかし、様々なところが傷み、今回大修理となりました。
 約8年御影堂に入ることも、見ることも出来ないことから、今年は大変多くの方が御参りに来ていました。また、様々な新聞やテレビなども来ており、例年にない賑わいでした。当日、御身拭が終わると、輿に法然上人を乗せ、阿弥陀堂で遷座の報告法要をした後に集会堂へ遷座をして法要を行いました。また、25日は加行(修行)が終わる日であり、私の後輩達が3週間の修行を終えて、出てくる日でもありました。
 後輩達は、遷座式まで法然上人の後ろに着いて法要のお供をしていましたが、修行を終えた晴れ晴れしい顔がとても印象的でした。私も6年前にこの修行を終えて出てきた時の様子を思い返しながら、遷座式の法要に参列していました。

 修行を終え、自分のお寺へと戻るとやはり、色々な寺務があることから、一日を阿弥陀さんの前で過ごすということは難しく、日々の生活で忙殺されてしまうことも多々あります。しかし、修行中は一心に御念仏を称え、礼拝をし、浄土宗宗侶となるための勉学に勤めることができます。このありがたさというのは、修行を終えて初めてわかるものだと思います。
 本来であれば、私たち僧侶は常日頃に御念仏を称え、修行を勤めることが必要だと思いますが、現代社会においてはそれは、ある意味贅沢であると言えます。出家とは、本義では働くことも捨てなければならず、托鉢などによって食物などをいただいて生活をしていました。現在もタイなどでは、そのように僧侶が生活をし、修行をしています。日本では、そのような生活は到底できるとは思えません。だからこそ、3週間という限りある時間ですが、ただひたすらに御念仏を称える時間がもてる修行の時間は、贅沢であると私は思っています。

 修行は辛い時間でもあります。しかし、贅沢であると思った今だからこそ、当時の体験や様子を思い返しながら、日々精進することが修行の一部なのではないでしょうか。今年一年も日々精進して参りますのでよろしくお願いいたします。

 天主君山現受院願成寺副住職
 魚 尾 和 瑛


御影堂


法然上人御遷座


修行を終えた行僧









第308回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
1月20日(金) PM6:00〜7:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
善教寺 土山 和雅 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
2月17日(金) 同時刻  三明寺 大嶽 正泰 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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