唐突であるが、何か欲しい物はと問われたならば、まよわず、ドラえもんの何でも出せる「なんでもポケット」と、心にある場所を思ってドアを開けるとその場所に空間移動ができる「どこでもドア」という。いずれもマンガ「ドラえもん」の重要アイテムである。
とりあえず「なんでもポケット」には今回用のメルマガ原稿を出してもらう。何でも欲しい物が出てくるというが、私利私欲のために使うことはできないようである。正確にいうと、わたしがその「なんでもポケット」を持っていて、お金儲けの機会を欲しいといっても出てこないのである。きっと、原稿が書けない私が原稿を望んでも不可能かもしれない。住職が原稿に困っているのを見て、ドラえもんが原稿を出してくれるというシチュエーションは可能性があるように思う。すなわち私が「なんでもポケット」を持つのではなく、ドラえもんと友達になることであるが、長年犬派を主張してきた私だけに不安がある。いや、ドラえもんは猫といっても猫型の未来ロボットだから、犬派をも助けてくれると信じたい。しかし、ドラえもんは「どら焼き」が大好きであったり、犬に追いかけられたりして、豊かな感情の持ち主であるので無理なのかもしれない。
新しい年を迎え、この15日までの間に外出したのは、お檀家さんの新年会の買い物、大学の講義、お寺の事務のための銀行と郵便局、救急救命講習会の開催依頼のための消防署と味も素っ気もない。これでは原稿のねたが見つかるわけもない。やはりドラえもんの
「どこでもドア」を借りて……。いや仕事中心の日常生活であっても、豊かな感受性があるならば、そこに話すべき材料はあるとの指摘を受けそうであるが……。やはり原稿は地道な努力があって生まれてくるものであろうか。
そういえば、ドラえもんも仏さまと同じように思えてきた。どちらも私の自分勝手な願いを適えてくれるものではない。もし仏さまが何でも適えてくれるならば、私など原稿に困ることはないはずである。
ドラえもんは、子供たちの良き友であり、仏さまは私どもの心の支えである。ごまかしながらも、所定の字数に近づいてきている。こんな内容で勘弁させていただこう。
ただ、新年早々、この自堕落では先が思いやられる。
蛇足であるが、ウィキペディアよりドラえもん誕生の経緯を書き添えよう。
『ドラえもん誕生』によれば、締め切りが迫る中、新連載の構想が浮かばないという切迫した状況にも関わらず、作者である藤子・F・不二雄は、アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。さらに、過去にもアイディアが思い浮かばないまま、ドラネコのノミ取りを始めてしまったという経験があったことなどを回想しているうちに、ついに締め切りになってしまう。そして、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまずいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、「ダメな人間を便利な機械で助ける」という内容も、自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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