東日本大震災で延期されていた「法然上人八百年大遠忌法要」が、東京芝増上寺において、4月1日より11日間にわたって厳修された。
私も50年に1度の特別法要であり、日ごろ本山に出かけることも少なかったので、この度は1週間にわたって出仕させていただいた。大法要への随喜とともに、法然上人をおまつりしてあるお堂「圓光大師堂(えんこうだいしどう)」でお念仏をさせていただきました。元禄10年(1697)、法然上人は東山天皇より圓光大師の大師号を賜りましたところから、圓光大師堂と申します。平成18年、総本山知恩院様から法然上人「御身柄(おみがら)」一粒を拝受致し建立されましたお堂です。ちなみに800年遠忌には、今上天皇より大師号「法爾大師」が加諡(かし)されました。
4日間にわたって、お堂にて不断念仏を唱えさせていただきました。1日8時間、昼食とお手洗い以外は、ひたすら「南無阿弥陀仏」のお念仏をお唱えいたします。正座してもあぐらをかいても、足と腰の痛さは変わりません。板の間に比べまして、畳がこれほど柔らかく座布団のように感じたことはありません。決して強制されてお称えしているわけではありませんので何時止めてもよいのですが、自分で決めたことですのでそうはいきません。いろいろな雑念や妄想が頭の中を駆け巡り、自分との戦いとなります。しかし、最後は無心にお念仏を申すことが肝要です。
お念仏を申しておりますと、脳裏に観智院土屋光道上人が現れました。このメルマガに寄稿して下さった土屋正道上人のお父さまにあたります。諏訪唐沢山阿弥陀寺で大正大学の僧侶をめざす学生の指導をした折、光道上人の下でお手伝いをさせていただきました。これが縁となり、私にとりましてはお念仏の先生にあたり、30年にわたりご指導を受けて参りました。理論と実践の両輪を備えられているところにひかれました。
「よく決心をして、お念仏をしているなー」と褒めて下さっているようでもあり、「そんなお念仏ではだめだ」と叱咤されているようでもあります。どちらであっても、何年かぶりにお念仏のなかでお会いできたことが嬉しく思いました。
次の日です。本物の光道上人にお会いいたしたのです。「魚尾君の顔が見えたので会いに来た」といいます。息子を紹介させていただき、歓談をさせていただきました。
昨日、お念仏の中でお目にかかっているだけに驚きました。そしてご上人がお元気で、なおかつ闊達であられることが嬉しいのです。わたしにとりましては、すばらしい遠忌法要であり、お念仏であり、そして出会いでありました。
【随喜】 ずい‐き [名](スル)
1 仏語。他人のなす善を見て、これに従い、喜びの心を生じること。
2 ありがたく思い、大いに喜ぶこと。「―して迎える」(大辞林)
【諡号】 しごう
貴人・僧侶などに、その死後、生前の行いを尊んで贈る名。贈り名。
【大師号】
天皇 年号 回忌
円光(えんこう)大師 東山天皇 元禄10 1697
東漸(とうぜん)大師 中御門天皇 宝永8 1711 500回忌
慧成(えじょう)大師 桃園天皇 宝暦11 1761 550回忌
弘覚(こうかく)大師 光格天皇 文化8 1811 600回忌
慈教(じきょう)大師 孝明天皇 万延2 1861 650回忌
明照(めいしょう)大師 明治天皇 明治44 1911 700回忌
和順(わじゅん)大師 昭和天皇 昭和36 1961 750回忌
法爾(ほうに) 大師 今上天皇 平成23 2011 800回忌
【不断】 ふだん
絶えないこと。いつまでも続くこと。また、そのさま。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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