私は大学の非常勤講師をしており、若い世代と接することが多く、こちらも若返ったような気持ちになる。いいもんである。
出席をとっていると、その名前の変化に驚く。まず女子に「○○子」という具合に、「子」の付く学生がほとんどいないことである。男女とも15名くらいのクラスであるが、「子」の付く学生は1〜2名、時として誰もいない場合もある。私の同級生はおおかた「○○子」であったように思う。妻もまた真理子である。ちなみに昨年度の「名前ランキング女子ベスト100」には、「莉子(りこ)」が第5位をとっているが、他には「○○子」はないのである。「莉子」が多いのは、タレントや女優に「莉子」と名の付く人が活躍したからであろう。
それから、どうも名前の漢字に、そう重きをおかれていないようにも思われる。想像ではあるが、まず音感の良い名前が決められ、その後に好きな漢字が当てはめられているようである。漢字が表意文字として使われるのではなく、表音文字として使われているのである。漢字は表意文字であるところにその特色があると思われるのだが。
女子ランキング1位の「陽菜」は、AKBの小嶋陽菜やキャラクタの悠木陽菜に由来するのであろうが、一昔であれば「春菜」であろう。「はるな」の音から想像されるのは、「榛名山」、榛名山からとられ名が踏襲されている護衛艦「榛名」、タレントの「はるな愛」などがあるが、小嶋陽菜や悠木陽菜なくして、「陽菜」は生まれなかったように思われる。
そういえば、明治生まれの女性は、平仮名や片仮名の2字の名前、「こと」「とり」「ちよ」「クニ」「ウメ」などであった。
時代が変わった、流行が変わったといってしまへばそれまでであろうが。
今ひとつ気になることがある。鉛筆の持ち方である。正確にはシャープペンシルの持ち方である。これは男女の区別なく、4〜5割の学生が正しく持っていない。正確に言うならば、「正しく持っていない」のではなく、私には違和感が感じられる。昨今やたらに「正しくない」と言うと、「差別だ」「誰が正しい持ち方と決めたのか」と、抗議を受けるからである。これが小学生であると、親から抗議を受けることになろう。「きちっと書ければ良いのではないか」、「この書き方で不自由したことはない」との論理が働いているようである。
意思の疎通ができるようになった学生に、おそるおそる聞いてみる。「自分のペンの持ち方は人と違うと思うか?」、「箸も同じか?」、「親も同じか?」と。おおかた「はい」である。
ペンや箸の持ち方などは、長年の経験則のなかから、正確で早く操作できるスタイルが誕生してきたと思われる。そしてそれが基準となって来たのであろうことを考えると、違和感を持つのである。
そう他人に迷惑を掛けることではないことを、どこまで声に出して良いのであろうか。仏さまはどのように感じられるのであろうかと、考えてしまうのである。
【名前ランキング】
明治安田生命「生まれ年別の名前調査 名前ランキング2011」による。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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