4月末の沖縄は、初夏を思わせる日差しと爽やかな風が吹いていた。
3年ぶりに訪れた沖縄には、本島北部の本部(もとぶ)町にある桂林寺の、工藤隆樹師に会うのが目的だった。
近くには、本部富士と呼ばれている山が見え、野原(のばる)という緑多い地域の寺だ。
沖縄を始め、南の島々との縁は十数年になるだろうか。思いつくままに訪れた島々を挙げてみる。
奄美本島・沖永良部島・与論島・伊江島・水納(みんな)島などだ。
南西諸島は、高温多湿な亜熱帯海洋性気候が、南国特有の植物を生み、一年中鮮やかな色とりどりの花が絶えない。
そして透き通る海の美しさなど、絵を描く私にとって制作意欲を刺激してくれる、気候風土だからだ。
日本画家で、南国を表現し知られているのは田中一村だ。
昭和52年(1977)に、69歳で亡くなった画家は、奄美本島に50歳で移住。紬染工として働きながら、南国の自然などを描き続けること19年間。
赤、青、黄など原色で花や鳥を表現、墨の濃淡との対比で、色鮮やかで強烈な印象を与える作品群を生みだした。
一村が居住し制作していた奄美本島に建てられた「田中一村記念美術館」で作品を鑑賞出来た時には、とても有難く思えた。
その奄美諸島の最南端の与論島にも、数回スケッチ旅行をした。
周囲22キロメートルの小さな島は、サンゴ礁に囲まれ、深く群青色(ぐんじょういろ)や群緑色(ぐんろくいろ)の海には、無数の熱帯魚が泳いでいる。
また島内には、花々が咲く、その花の一つにハイビスカスがある。別名は、ブッソウゲ(仏桑花)、グソーバナ(後生花)、アカバナー等と呼ばれる。
それは、死者の幸福を願い、墓地内に植え花を供えることもあるからだ。現在では、敷地の垣根や沿道脇などでも、よく見かける。
スケッチをして、よく観察をしてわかったのだが、雌しべと雄しべが、一本に合体している珍しい形になっている。
いづれにしても、ハイビスカスは南国の花の代表のひとつだ。
サトウキビ畑も多く、色彩に変化のある茎は、節がしっかりした等間隔で、臙脂色(えんじいろ)から若葉色まである。強い風に耐え曲がりくねった茎は、一つとして同じ物は無い。
季節によっては、ススキの白い穂に似ている花が、さわさわと風に揺れている。サトウキビは、変化が多くスケッチをして飽きることなく描き続けられた。
さらに、沖永良部島では、純白のテッポウユリを描いた。
南西諸島が原産、九州南部から沖縄にかけて自生し、島ではエラブユリと呼んでいる。
エラブユリが有名になるきっかけは、明治31年(1898)夏の台風で、イギリス人貿易商人アイザック・バイティングが遭難、島に漂着した。島民の篤い看護により体調が快復し、散歩の時に初めて見たユリは、ヨーロッパ産よりも三倍近くも大きな、その花に感激したという。後に明治から昭和の時代に、リリー・オブ・ジャパンとして、沖永良部から横浜港に集荷され世界に輸出された。
島の海岸で見るユリは、なんと美しく、なんと清楚であるかと思った。強い風に吹かれながら、健気に咲いていた。
今回も本部で、ランタナという淡い紅紫色の可憐な花などをスケッチ出来た。
そして、所用を済まし那覇に戻り松山町松山公園内にある、桂林寺跡の「袋中上人行化碑」で、手を合わせてから、帰路についた。
桂林寺住職 永 田 英 司
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