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次回配信日は、6月15日です。




高盛りと施餓鬼旗

 5月30日当山の施餓鬼法要がおこなわれた。施餓鬼会について、ながくなるがその起源について、辞書を引用しよう。
   阿難の施餓鬼は「救抜焔口陀羅尼経」に依るものである。釈迦仏
  の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅
  瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉
  は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。
  その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように
  醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。驚いた阿難が、どうした
  らその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うた。餓鬼は『それにはわれ
  ら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施
  し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難
  を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう』と言った。しかしそ
  のような金銭がない阿難は、釈迦仏に助けを求めた。すると釈迦仏
  は『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食
  陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物
  は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量
  無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を
  証得することができる』と言われた。阿難が早速その通りにすると、
  阿難の生命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源とされる。
 阿南尊者の故事になぞらえて、宗派や地域をとわず全国的におこなわれている法要といえよう。その趣旨からたくさんの食べ物があげられる。普段の法要では霊香膳を供するが、お施餓鬼にはさらに天こ盛りご飯が用意される。さらにたくさんの野菜も供えられる。ひとえに餓え苦しむ世界の救済に供せられるのである。

 ところで仏教においては、食事もまた修行のひとつである。食作法があり、お経を読んで「いただきます」となる。最初にすることは、ご飯を一口取って椀などの蓋に置くことである。まずみずからの食べ物を餓鬼に施すために用意することである。音をたてずに速やかに食するのであるが、沢庵を食べるときも心なしか音の出ないように食べる。そして最後に、餓鬼の供養のために取っておいた一口のご飯を食べて終わりとなるのである。

 特に拙寺周辺の農家の年忌法要では、よく「盛り団子」が供えられる。20個のお団子がきれいにピラミット型に盛られている。固からず柔らからず正三角形に盛られたならば、嫁として一人前という話もある。やはりこの盛り団子でもひとつ余計に作って餓鬼に施すのである。農家の主婦には常識である。しかし盛り団子も最近は業者が納品するようになり、あとひとつがないの寂しい。

 何年前であろうか、お檀家さんと中国五台山に参拝に行った。各お寺の大殿の前には、かならず施餓鬼用の棚が設けられていた。
 ホテルに宿泊している私たちであるが、朝お坊さんをお招きをして食作法をしていただき、食事となった。同じように施餓鬼供養なされ、特別にご馳走のある朝食となった。通訳に聞くところ、普段質素な食事をしている現地のお坊さんにとっては最高の食事であるという。心なしか嬉しそうである。無論言葉は通じないし、作法として静かに食することである。立場上、お招きしたお坊さんの隣に坐らせていただいた。まず、「豆がゆ」であったろうか、美味しそうに全部を食して、空になった器をテーブルの前に置いた。そして副菜ののったお皿を引き寄せて食している。わたくしも「郷に入ったら郷に従え」というので、まずお粥からいただいた。3000メートルの高地では朝は寒く温かいお粥はご馳走である。そして同じように食べ終えた器を前に置いた。
 すると給仕係が飛んで来た。そして豆がゆをたっぷりと空になった器によそるではないか。無言の食事で、お替わりをするときはお椀を前に出すことに気付いたときには、すでにたっぷりのお粥をいただくこととなった。
 それ以来、施餓鬼法要は私にとって身近な法要となり、無事勤め終えて安堵感を感じた次第である。

【五台山】
五台山(ごだいさん)は、中国山西省東北部の五台県にある古来からの霊山である。標高3,058m。仏教では、文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めている。旧字表記では、五臺山。別名は、清涼山。2009年にUNESCOの世界遺産に登録された。山内には、北魏の時期に大浮図寺と呼ばれる寺が建立され、それ以後、多数の山岳寺院が建立された。
その最も繁栄した時期には、300以上の寺が林立していたといわれる。観音菩薩の霊場である普陀山と、普賢菩薩の霊場である峨眉山、地蔵菩薩の霊場である九華山と並んで、中国仏教の聖地とされる(中国三大霊山、中国四大仏教名山)。現在でも、台内に39ヶ寺(南山寺、顕通寺、塔院寺、碧山寺、普化寺、観音洞、龍泉寺、金閣寺など)、台外に8ヶ寺(延慶寺、南禅寺、秘密寺、尊勝寺など)で、合計47ヶ寺の寺院が存在する。
日本の平安時代から鎌倉時代の入唐僧や入宋僧の多くも、天台山と共に率先してこの山を訪れた。また、チベット仏教の教徒の尊崇も集めており、菩薩頂と呼ばれる寺院のある五台山は、中国内地では、漢伝仏教とチベット仏教との唯一の共通の聖地となっている。
(ウィキペディア)

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久








 今年も早いもので6月になりました。そろそろ梅雨、そして梅雨の先には夏が待っております。
 先日、関東地方では金環日食が観測できるということで、天文ファンだけでなくとも多くの人が金環日食の観測を楽しんでいたことは、記憶に新しいかと思います。私も住職と共に境内より日食の撮影をしようと、朝早くに起きてカメラを構えておりました。
 普段私は、写真を趣味にしていても、寺社やポートレートを主に撮っており、天体の観測・撮影は初めて行いました。常識的なことですが、太陽はそのまま撮ることは出来ません。特殊な光量を落とすフィルターをレンズにつけて撮影をします。金環日食があるということで、どこのお店やネット上でもなかなかフィルターが見つからず、探しに探してやっと手に入れたので、必ずや金環日食を、と思っておりました。

 結論から申しまして、静岡では最初の数分は日食が観測出来ましたが、きれいな金環日食の時には、分厚い雲と雨に見舞われてしまい、見ることが出来ませんでした。挙げ句の果てには、住職、私共に風邪をひいてしまい、踏んだり蹴ったりな日食となってしまいました。
 しかし、写真を趣味としている私にとっては、必ずしも撮れなかったことは失敗だと思っておりません。日食が撮れなかったことは残念でしたが、日食を撮る為にはどのようにしたらいいのだろうかと調べ、実行したことがなによりも収穫だと思っています。また、親子でカメラと遮光グラスで日食を見たことは、見ることができなくとも思い出の一つになったことは確かです。
 負け惜しみのようですが、私自身は八割程は満足しています。これから先に日食があった時にまた挑戦してみようと思っていますが、今回の金環日食で得たノウハウで再度チャレンジしてみたいものです。撮ろうと試行錯誤していくなかで、レンズの絞りやシャッター速度などを少しずつ調整し、雲がなければこれぐらい、雲が出たらこれぐらいと判ってくるのが楽しみの一つなのかもしれません。
  アマチュアの私が撮るものは、プロには決して勝つことはできませんが、撮ろうとすることこそが、カメラマンの原動力なのだと改めて感じる良い機会となりました。他のこともそうかもしれません。何かに挑戦してみて、駄目だったとしても、挑戦しようと努力し、試行錯誤したことは、無駄ではありません。結果重視の現代社会ですが、結果云々よりも、過程があることが九割の成功なのだと思います。
 それは、特に仏教や宗教には顕著に現れているようにもみえます。悟るまでの過程があるからこそ、悟るまでの試行錯誤があるからこそ、釈迦の教えというものが現代にまで残っています。釈迦が最初から悟っていたら、悟りに至る教えはなかったと言えるでしょう。

 結果ももちろん大事ですが、「過程」を見ることは、現代社会において一つの救いになるのではないでしょうか。金環日食から、そのようなことを改めて考えさせられました。

 『ちなみに、次回の金環日食は2030年6月1日に北海道で観測できるとのこと。18年後にリベンジをしたいものです。

 天主君山現受院願成寺副住職
魚 尾 和 瑛


日食









第313回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
6月15日(金) PM6:00〜7:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
福泉寺 岩佐 善公 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
7月20日(金) 同時刻  願成寺 魚尾 孝久 師

 

墓地清掃

 恒例となりました、お盆の墓地清掃をおこないます。檀信徒総出でのお掃除の機会でもあり、また、「そうめん流し」も用意いたしておりますので、ご家族とともにご参加いただけますようお願い申し上げます。

日   時
7月1日(日) 9時より(雨天決行)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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