私は一度だけ島根県の、出雲大社に参拝したことがある。平成23年の1月下旬だった。
空気の澄んだ寒い季節に訪れて、今でも強く印象に残っている風景がある。それは、出雲大社の第一鳥居宇迦橋の大鳥居から、市街地を眺めた時だった。広い空に浮かぶ雲海が雄大で神(こう)神(ごう)しかったからだ。
白群青色(びゃくぐんじょういろ)の空に、ポッカリ浮かんだ多くの白い雲を見ながら思い出した歌があった。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
(訳)
雲が何重にも立ち昇る出雲の地
この地に雲のように幾重にも垣を廻らし
愛する妻のために幾重にも垣を作っている
この幾重にも廻らした垣よ
この歌は、わが国で最古の短歌と云われている。古事記の中でも有名な歌で、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が詠んでいる。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した結果、素盞鳴尊が稲田姫命(いなだひめのみこと)を妻としたときの事だ。
素盞鳴尊が新しい宮居を構えて「私の心は清々しくなった」と気持ちを述べている。
多くの困難な経験を尽くした者が、美しい妻を得た喜びを表現した寿(ことほ)ぎの歌だ。
出雲の地に身を於いて「八雲立つ」の言葉の意味を、体感したことは、それこそ私にとっては「寿ぎ」だった。
そして別の機会に松江を訪れた際に、この歌ゆかりの八重垣神社を参拝した。
八重垣神社は、出雲大社と同じ島根県にある。松江市の中心より南方の山沿いの静かな地にあった。
御祭神には、素盞鳴尊と稲田姫命の御夫婦が御祭りされている。お二人が宮居を構えた場所なので、縁結びの神社として知られている。
本殿参拝の後、境内の宝物収蔵庫で、絵を描く私にとって興味深い壁画が公開されていたので拝観した。
日本最古の木造神社壁画として、元は本殿内にあった。我が国の絵画史上最も貴重とされているひとつだという。なにしろ制作が古い。寛平5年(893)に宮廷画家の巨勢金剛が描いた「六神像」だ。
古色蒼然で力強い筆力などを約1,100年前の作品であっても感じることが出来た。
白として使用している絵具が、火山灰の珪藻土から出来たとされる白土(はくど)だとは、驚くばかりだった。国の重要文化財の指定を受けている。
本殿の後ろは奥の院、佐久佐女の森といわれている聖域で、流行の言葉ではパワースポットだ。
稲田姫命が八岐大蛇の難を逃れた場所で、大きな杉(跡が残っていた)を中心に、八重垣を作り避難したと伝えられている。ちなみに、八重垣とは、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣の八つをいう。今でもそれぞれの垣の名が山の上や中腹などに地名として残っている。
さらに森の中には、稲田姫命が自分の姿を映した鏡の池があった。
今も湧き出ている池の水は、稲田姫命の御霊魂があり、縁結びの占いの池とされている。
硬貨を載せた紙を浮かべて、早く沈めば直ぐに良縁に恵まれるという占いだ。
この神社では昔から、人々は縁結びや幸福を祈願するために参拝していた。
その願いは、今の時代も途絶えることなく続いていると思った。
日本最古の歴史書「古事記」に登場する神々の存在を感じた、出雲大社と八重垣神社への参拝だった。
桂林寺住職 永 田 英 司
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