岐阜県郡上市にある八幡信用金庫が、地域文化の理解を深めようと「はちしん灌花塾」を立ちあげた。灌花塾(かんかじゅく)とは、郡上藩を最後に治めた青山氏の藩校に由来するという。
八幡信用金庫と交流のある三島信用金庫からは、稲田清治理事長と大村課長が参加された。演題は、地域史家高橋教雄氏の「古今伝授と宗祇」である。わたくしども宗祇法師の会からも、6人が同行させていただいた。
この郡上市は、「古今伝授の祖」される東常縁(とうのつねのり)の領地であり、篠脇城が居城であった。東常縁は、室町幕府の命を足利政知の堀川公方(伊豆韮山)助成のため、三島に陣をかまえていた。常縁は戦国武将であるとともに、和歌においても第一人者でもあった。室町幕府奉公衆として京都にあったときは、冷泉派の清巌正徹にも和歌を学び、二条派の尭孝の門弟となり、二条派歌学の正説を伝えた歌学者でもあった。
連歌師として大成を遂げた宗祇法師は、伝統的な和歌の道を究めたうえでの連歌の世界の構築を願ったと思われる。伝統的な古今集の奥義を受け継ぐことこそ、最重要課題と考えた宗祇は、戦陣にある常縁のもとへ赴いてまでもの伝授を希望したのである。
初めての「古今伝授」は、宗祇の懇願によって文明3年(1471)正月28日から4月8日にかけて、三島の地で始まった。その場所として、最近の研究により我が願成寺が浮かび上がった。現在の地名にも「城山」があり常縁の陣があったと思われ、最近になって城山にある願成寺から宗祇法師350年追悼の軸が発見されるなど注目を集めている。宗祇法師終焉の地裾野市桃園の定輪寺には50年ごとの追悼法要の記録があるが、350年だけ不明であっただけに、今回の発見は意義あるものであった。
日本最初の古今伝授が、三島の我が寺であるということは大変なことである。万葉集から現代短歌に至るまでの系譜を考えたとき、武家社会を中心として栄えた連歌が、歌謡の世界でその位置付けを有するには伝統的和歌の裏付けが必要とされ、古今の伝授こそがそれを適えてくれるものであったと思われる。それに気の付いた宗祇は、戦場にある常縁に三島の地まで赴いてまでの伝授を望んだのである。別な言い方をすれば、伝統的な京都歌壇にある歌人たちには、二条家がそうであるように、すでにその家系そのものが和歌継承の証であった。しかし武士の世界を中心とする連歌にとっては、和歌の手本として初めての勅撰和歌集である古今和歌集の奥義の伝授を授かることが必要であった。したがって常縁より授かった古今伝授は連歌の世界で継承されていくのである。
古今伝授は2度に分けておこなわれ、2回目は6月12日から7月25日にかけて常縁の所領である大和町妙見神社でおこなわれたとする説がある。しかし今回の高橋氏の講演では、後半もまた三島での伝授であったして、金子金治郎氏のすべて三島説を積極的に支持された。三島にとっては嬉しい限りであるが、重い責任を負うことになる。
今後の宗祇顕彰に力の入る次第である。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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