お十夜法要の季節になってきた。10月から始まり、遅い寺院では12月初旬頃まで営まれる。浄土宗でお十夜が始まった鎌倉の大本山光明寺では、今年も10月12日午後の開白法要から、15日午前の結願法要まで4日間厳修された。
私自身は、14日午後6時の初夜法要御代理導師 神奈川教区教区長 宗忠寺住職 夏見邦夫上人の内陣警護で、引声阿弥陀経をお唱えする中、香盤行道(こうばんぎょうどう)をさせていただいた。初夜法要の後にみ仏を讃える仏讃歌にあわせて、稚児礼讃舞(ちごらいさんまい)が行われ、雅楽会の演奏もあり、多くの信者で大殿は熱気につつまれた。
それから10日ほど後に、大本山光明寺と同じ神奈川県内の横須賀市長井の不断寺に、お十夜法話の為に初めてお伺いした。三浦半島突端近くの、長井漁港に隣接する名刹だ。法話が午後6時からなので、現地に着いた頃は丁度夕暮れであった。相模湾の向こうに富士山を遠望しながら、綺麗な夕陽が沈んでいくのを拝むことができた。
不断寺は、寛元4年(1246)に開創された歴史のある寺院なので、いくつかの伝承がある。その一つを平成版 浄土宗神奈川教区 寺院誌(浄土宗神奈川教区編) 不断寺の紹介から一部分を引用させていただく。
鎌倉光明寺に伝わる引声阿弥陀経並びに引声念仏に関して、末寺であった当寺が重要な関わりをもった記事があります。光明寺の十夜法要は観誉祐崇上人によって始められましたが、いつの頃からか断絶してしまいました。そこで第五十八世義誉観徹上人が弟子を京都に遣わして引声阿弥陀経および引声念仏を習得させ復活しましたが、再びその版も失われてしまいました。しかし不思議なことに不断寺の本尊胎内より一巻が発見されて十夜法要が復活したことが、光明寺第六十二世洞誉玄達上人の残された古文書に記されています。
不断寺のお十夜法要は、毎年10月25・26日の2日間。大本山光明寺と同様に、稚児礼讃舞もあるので父母の方々も多く参拝されて賑わっている。2日間共に出店も数十店あり、夜まで祭りの雰囲気を楽しんでいた。
お十夜法要でお唱えする引声阿弥陀経とは、阿弥陀経に曲調をつけて、漢音で読誦する。音典の調子は極楽の八功徳池の波の音になぞらえたというだけに、僧侶達の透き通る高い声が美しい。ちなみに八功徳池とは、八種の功徳を備えた水をいう。
もう一つの引声念仏は、こちらも声にゆるやかな曲節をつけて阿弥陀仏の名号を唱える。引声阿弥陀経と引声念仏ともに、天台宗の滋覚大師円仁が、中国から伝えた法が元になっている。
お十夜法要でお唱えする「阿弥陀経」の内容は、極楽浄土の素晴らしい風景が表現され、一心に「南無阿弥陀仏」と、阿弥陀様の御名(みな)を唱えれば、必ず極楽に往生すると説かれている。
「阿弥陀経」の一文に触発され、私は50号(変形)の杉板に日本画で蓮の花々を表現した。画題は「蓮池(れんち)」だ。
その感銘を受けた一文を現代語意訳で書いてみる。
池の中には蓮の花が咲いていて、花の大きいことは車輪のようである。青い花は青い光、黄色い花は黄色い光、赤い花は赤い光、白い花は白い光を放って、えも言われぬ清らかな香りを漂わせている。
お十夜法要で、阿弥陀経をお唱えするたびに極楽浄土の世界が広がってくる。
桂林寺住職 永 田 英 司
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