新春をお迎えいたしましたこと、心よりお慶び申しあげます。三島では風もなく暖かいお正月となりました。毎年三嶋大社には、約60万人の初詣の人出と報道されています。三島市の人口がおよそ11万人ですから、その人出は凄いものです。
拙寺でも例年4日には修正会(しゅしょうえ)を開催しております。本堂で初参りをして、書院で新年会をいたします。新年祈願は毎年のことですが、昨年からは「東日本大震災物故者霊位追善菩提」と、震災で亡くなられた方のご供養を申しあげました。
ところで、宗祇は古今集の奥義であります『古今伝授』を東常縁(とうつねより)より、願成寺で伝授されましたことはたびたび申しあげておりますが、『古今伝授』はさらに宗祇から公家で歌人でもあります三条西実隆に伝授されて参ります。そこで今年の年賀状には、その三条西実隆の日記『実隆公記』文明16年(1484)お正月の賀詞を引用させていただきました。
「万物一新の節、四海安泰の春、吉祥すべからく今春に在るべし」
実隆の新春におけます大きな期待が感じ取られる句です。この時代は群雄割拠の時代で、京の都にあっても戦乱の場となることがしばしばあり、足利幕府も皇室も国を掌握できず、混沌とした時代でありました。実隆をはじめ公家たちは、荘園の崩壊から貧窮のどん底にあったと思われます。それだけに新しい年の「安泰」「吉祥」を祈る気持ちは強かったと想像されます。
毎年のことですが、世界の、日本の、願成寺の、檀信徒の皆さまの、家族の、そして自身の安穏を祈ります。
【東常縁】とうつねより
室町時代の武家、歌人。法号は素伝、別に昼錦居士と号した。応永8年(1401)生まれる。父は下野守益之。家系は桓武平氏、千葉氏の一族で、常縁の俗弟正宗竜統に、父益之の『故左金吾兼野州太守平公墳記』文明5年(1473)があり、この中に東氏一族についての詳しい記述がみえる。(中略)主に古今伝授など二条派歌学の伝承に関するもので、特に連歌師飯尾(いのお)宗祇に対して、文明元年京都において、ついで同3年には伊豆国三島において、二度にわたって『古今和歌集』を講じたことが「古今伝授」の創始としてよく知られている(『古今和歌集両度聞書』)。(後略)
”とうつねより【東常縁】”, 国史大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.japanknowledge.com>, (参照 2013-01-07)
【三条西実隆】さんじょうにし‐さねたか[1455〜1537]
室町後期の公家・歌人。内大臣に至る。号、聴雪、出家して逍遥院尭空。飛鳥井雅親(あすかいまさちか)に和歌を学び、飯尾宗祇から古今伝授を受け、古典の普及に努めた。また、能書家としても知られる。著「源氏物語細流抄」、歌集「雪玉集」、日記「実隆公記」など。”さんじょうにし‐さねたか【三条西実隆】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.japanknowledge.com>, (参照 2013-01-07)
【四海】 し‐かい
1 四方の海。よものうみ。
2 《四方の海の内の意》国内。世の中。天下。また、世界。
「―を掌握する」「―同胞」
3 仏語。須弥山(しゅみせん)を取り巻く四つの外海。(大辞林)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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