梅の花が咲き始めた頃。鎌倉の小町通りにある、「かまくら画廊」で、2月27日から3月8日までの10日間個展を開催した。
鎌倉駅東口から徒歩5分ほどの画廊は、非常に便利な場所でもあり、多くの人々が観に来てくれた。初日には、大本山光明寺のご法主 宮林昭彦台下がお越しくださり、幸先の良いスタートとなった。
今回の個展は、石割桜(150号)の大作を中心に20点の展示作品だった。地元神奈川での個展は7年ぶりとなる。その理由は、浄土宗から平成19年4月に横浜市近郊が国内開教指定地域になり、国内開教使にも認証された。その6月20日には横浜市緑区北八朔町に、桂林寺を開山したからだ。
桂林寺住職を拝命してから、以後お念仏を弘通することに専念する為、地元神奈川で個展の開催を封印していた。その理由は、京都大本山清浄華院第80世ご法主 大田台下に「僧侶たる者は、全て布教師である」と、ご指導をいただき、布教の基本を学ばなければならないと思ったからだ。
浅学非才の身、開山した前年度から、布教師養成講座を受講し、3年の年月をかけて学び成満した。その結果、平成21年4月に大本山増上寺布教師。同年5月に大本山光明寺布教師。平成24年2月に総本山知恩院布教師になることが出来た。
布教の指導を受けた頃から多くの仏縁をいただいた。北は北海道の利尻・礼文島。本州各地。地元の神奈川。四国や南は九州・沖縄まで布教法話に行き、お念仏のみ教えを弘通。
国内開教使の任期は5年なので、昨年の3月に終了した。これを契機にまだまだ布教を学ぶ道半ばであるが、地元神奈川での個展開催する封印を解き、私のライフワークである日本画を通して、お念仏のみ教えを伝えたい!との原点に立ち戻っての思いからだ。
鎌倉は、神奈川教区教化団の一員として、大本山光明寺山内の教務所に、3年間通い続けた地だ。私自身も、以前から鎌倉に縁があった。祖父母が昭和初期の頃に、鶴岡八幡宮近くの、雪ノ下地域に10年ほど住んでいた。母も幼い頃、鶴岡八幡宮などで遊んだという。一時期、かまくら画廊のある、小町通りの名を使用した、小町会という親戚の集まりがあったのも、何かの因縁を感じた。
そんな事情もあり、個展では久しぶりに、お会いした親戚の皆様とも、昔話と共に近況報告などの話が出来た。
今回の個展作品中ただ一点の大作は、石割桜だった。岩手県盛岡市の盛岡地方裁判所構内にある古木だ。
樹齢は、350年とも言われていて、大きな花崗岩を真二つに割っている。石の周囲は23メートル。高さ1.5メートル。割れ目の最大幅は23センチメートルもある。樹勢は活発で年々生長し、石の裂目は今でも少しずつ広がっている。
過酷な環境を超えて生き続ける姿が、人々を元気な気持ちにさせてくれる。
会期中に、石割桜の力強い姿が東日本大震災からの復興を支援するとの意見があった。
個展終了後に、大本山光明寺寺務所玄関に展示してくださる事になった。桜咲く季節に、義援金の勧進と共に、ささやかな支援の形になるとの意味からだ。
私の描いた日本画が、少しでも東日本大震災から復興する、お手伝いになればと思う。
桂林寺住職 永 田 英 司
【付記】
2年間の連載をさせていただき、有難うございました。任期成満です。
願成寺住職を始め、お世話になった皆様には御礼申し上げます。
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