大学の講義で、源氏物語を読んでいる。私の務める大正大学には室町時代後期の書写とする源氏物語があり、図書館の公式サイトにて全頁公開されている画像を利用して、学生たちとともに翻刻をおこなっている。
奥書によると延徳2年(1490年)から明応2年(1493年)にかけて、多数の人々により書写された寄合書である。そのなかに宗祇法師が「玉鬘」の巻を書写をしているのである。
3年ほど前の旧書院の解体時に、宗祇法師350年遠忌追福の掛け軸が発見された。宗祇法師の顕彰は、墓所である裾野の定輪寺にて没後300年から平成12年の500回忌まで50年ごとにおこなわれてきたが、350年だけが記録がなかったのである。そこでの拙寺での発見は、貴重な資料ということになった。そうした経緯を踏まえて、東常縁(とうのつねより)より宗祇法師への我が国最初の古今伝授は、三島の願成寺となったことは、驚異のことである。
大学の仕事と拙寺の歴史が繋がったことは、必然的に宗祇法師に関する研究にも熱がはいってくる。
さて、さる3月27日には、三島宗祇法師の会(藤岡武雄会長)より「古今伝授の寺」の碑が奉納され、豊岡武士三島市長、西島玉枝教育長、願成寺総代大村俊之氏出席のもとで除幕式がおこなわれた。
東常縁のもとで、古今和歌集講釈をうけていた宗祇は、常緑の子息竹一丸(たけいっちくまる)が悪性の風邪にかかり中々なおらなかったので、3月21日、竹一丸の平癒を三嶋大社に祈願し、発句「なべて世の風を治めよ神の春」を奉納したところ平癒した。そこで、さらに三日間で千句を独吟して奉納したのが、世にいう「三島千句」である。この「三島千句」には、宗祇が奥書を付し、歌が記されてある。
神はただ よしあしわかぬ 恵みあれば
人にぞしのぶ あさきこころを
三嶋明神に発句を奉納したれば、風邪が見事になおったことをふまえて詠まれた歌であることがわかる。その意味は「三嶋大明神様、よい、悪いの別なくお恵みをいただけるならば、竹一丸の病気平癒の祈願のあさましい心にも、お恵み下さい」と詠み、「文明3年3月27日 宗祇」と記されていることに因んでの除幕となった次第である。
宗祇がその伝授による講釈の聞書を整理した『古今和歌集両度聞書』の冒頭には、「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」とあり、和歌の本質を講説されていることがわかる。
こうした事象に関わる我が身に、喜びといささかの緊張を覚え、宗祇法師の顕彰と研究とに精進する次第である。
【翻刻】
写本・版本などを、原本どおりに活字に組むなどして新たに出版すること。(大辞林)
【図書館の公式サイト】
http://www.tais.ac.jp/related/tais_library/lib_articles/genji/22/index.html#/3/
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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