お寺の境内は、地目として考えると、おおかた「境内」「墓地」「雑地」となる。したがって境内地に少し空き地があるからといって、勝手に墓地にしてよいわけではない。墓地とするには地目の変更を経て、行政より墓地の許可を取得して初めて可能となる。
我が寺でも境内の整備にともない、墓地の隣に墓地2つ程の地目上境内地ができたのである。したがって墓地を作ることはできないのであるが、見た目にはよい墓地の区画に見えてしまう。そこで誤使用を避けるために植栽をすることにした。
ひと言で木を植えるといっても、何の木を植えるかはなかなか難しい。幸いにも田舎の寺であるので、都会とは違って境内が広いためいろいろな木が植えられており、四季折々に目を楽しませてくれるとともに参考になる。自分の好きな木を植えるというのも、ひとつの選択肢かもしれないが、いささか問題がある。寺を管理している住職という立場になると、そう簡単にはいかない。
梅は春一番に花を咲かせ春の訪れを伝えてくれ、そして何よりもその香りは抜群で、ウグイスも訪れ、この時期はウグイスの鳴き声で目を覚ますなどは最高の贅沢なのであろうか。しかし毎年の剪定がじつに大変なのである。
桜の花は、庭に1本でもあると華やかになる。たしかに「梅切らぬ馬鹿、桜切る馬鹿」のことわざの通り、剪定はまったくいらないのであるが、夏場になると10pほどの大きな毛虫が付き、参拝者に嫌われる。その食欲はものすごく、一瞬のうちに丸坊主にしてしまい、管理の悪さの象徴のようになり、顰蹙を(ひんしゅく)を買うこと間違いない。
藤も花と香りを楽しませてくれる花木として申し分ないが、棚からはみ出す蔓伐り(つるきり)が6月から秋まで続き、剪定に手間のかかる木である。そして何よりも、落ち葉の掃除が大変である。8月頃から落葉が始まり、11月まで毎日少しずつ散っていくのである。モクレンなどは霜の降りた日、1日でおおかたの葉を落としてしまうのとは実に対照的である。
考えてみれば、私に都合のよい木などはないのである。すべての植木にメリット、デメリットがあるわけで、デメリットを克服させる「プラスα」を見いだしたとき、そして植木は一度植えたならば簡単な理由で伐採することがないので、何年も持続する「プラスα」を持つ必要がある。
10数年前、選択されたのが「関山(かんざん)」という八重桜である。毛虫に打ち勝つ原動力は、何よりも五分咲きの花を塩漬けにして、「桜湯」を楽しむことができるからである。幸いに、丈夫な種で、毛虫の発生もない。桜ご飯も楽しいものである。
今年もたくさんの花をつけている。少し摘まさせていただいている。いつかは、慶事に「願成寺の桜湯」として利用したいと思っている。
【梅切らぬ馬鹿、桜切る馬鹿】
桜は枝を切るとそこから腐りやすくなるので切らないほうがよく、梅は枝を切らないとむだな枝がついてしまうので切ったほうがよいとされることから。
また、桜の枝は切らずに折るほうがよく、梅の枝は折らずに切るほうがよいことからともいわれるが、桜は折ることもよくない。「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」とも書く。(故事ことわざ辞典)
【関山】かんざん
四月中旬から五月上旬にかけて花期を迎える。花や蕾の色は濃い桜色であり、八重咲きである。花弁は多い場合は50枚を超える。花は大輪であり生育条件が整えば5cmを越えることもある。雌しべは2本葉化しており、花の中心から突き出ている。花の時期には葉が生えている場合が多い。また、花が長い期間持つことも特徴であり、長い期間楽しむことができる。
樹高は小高木程度であり、大きくとも10数メートル程度。枝は最初は真横に伸びていき、徐々に上の方向へ向かっていく。樹木として虫、病害、環境変化などに強い傾向がある。生え始めの葉は赤みを帯びている。
ヤエザクラでは非常に一般的な種であり、育てやすいことなどから街路樹や公園の植木などとしても植えられていることが多く見る機会も非常に多い。また、花期の長さからソメイヨシノ等の桜の散った場合に備え、小学校などで植えられる事も多い。花の大きさや色などから欧米などでも好まれ広く育てられている。
その他には、塩漬けの桜にされ桜湯の素となることも多い。(ウィキペディア)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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